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女性解放活動家で福岡県今宿村(現福岡市西区)出身の伊藤野枝(1895~1923)が、関東大震災の混乱のさなかに虐殺されて、16日で100年となる。ジェンダー平等を訴え、恋愛でも因習にとらわれず自分を貫いた野枝。福岡や東京でその歩みに焦点を当てるイベントが計画されるが、それは単に節目だからではなく、「今」という時代も背景にある。「100年早かった」生き方に共感、関心が高まっている。

代々、海産物などを扱った家に生まれた野枝は上京して上野高等女学校に入学。卒業後は、平塚らいてうらが発刊した女性のための雑誌「青鞜(せいとう)」に参加して数々の作品を発表した。1915年には2代目編集長に就任し、「何の主義も方針も規則もない雑誌をすべての婦人達に提供」すると宣言した。
私生活では、親が決めた相手との婚姻生活を送りながら、わずか9日間で出奔。高等女学校時代の教師と結婚するも2人の子を置いて離婚し、アナキスト(無政府主義者)の大杉栄にひかれた。そして大震災直後の23年9月16日、野枝と大杉ら3人は東京の憲兵分隊に拘引、虐殺された。
今月15、16日に福岡市西区で開かれるイベントは、「100年早かった女・伊藤野枝を感じとる2日間」と銘打って開催。東京では24日にシンポジウム「自由な自己の道を歩いて行こう」が開かれ、作家の森まゆみさんやルポライターの鎌田慧さんによる講演などが予定されている。
近年になって認識が広がってきたジェンダーの問題に、野枝は100年も前に向き合っていたと言える。福岡のイベントを主催する関係者は「ようやく時代が野枝に追いついてきた。生涯を見つめ、考える機会にしたい」と強調した。
明治大法学部の田中ひかる教授(アナーキズム史)は野枝について「傍若無人に見えたかもしれないが、大変なエネルギーを必要とした人生だった」と言及。「現代の女性も日常的にさまざまな不快感に触れている。だからこそ、野枝のストレートな生き方に共感を持つのではないか」と指摘した。
(鎌田浩二)