九州芸術工科大学は今から60年前の1963年に安川大五郎を
中心とする九州財界と芸術愛好家などによって「九州芸術大学」
期成同盟が造られ、音楽・美術・工芸などを教育し芸術家を
輩出する大学として設立運動が行われた。
しかし当時、藝術大学設置の条件(教員人材も含む)は厳しく
藝術と産業の橋渡し的大学として方向を修正し「産業芸術大学」
「芸術産業大学」等など、方向性が二転三転(その経緯は省略)
結果的に1967年に「九州芸術工科大学」とされた。
「藝術学部」は難しいが「工学部」ならOKと言う文部省の意向も。
なので、「九州芸術工科大学」は工学部の位置付け。
地元の運動から僅か5年後の1968年に開学の速攻だった。
当時は公害問題を始め、産業の独走が人間環境を脅かし始めて
いたことから、産業に人間性を取り戻し、そのためには芸術的
素養が重要であると言う観点が押し出された。
学科は「環境設計学科」「工業設計学科」「画像設計学科」
「音響設計学科」の4学科となった。
1期生の合格競争率は全体で20倍、「環境設計」は50倍。
私は、音響設計学科4期生で、音楽の講義もあり楽器は2種
必修であった。ピアノは全員履修、第2楽器は選択制で、
私はチェロを習った。しかし、これらは音楽的素養を養うもので
演奏家になるレベルの教育ではない。他に音響工学や聴覚形成
なども必修であった。
2003年に大学再編で九州大学と合併。九大芸術工学部になる。
そういう訳で、九州に音楽大學を創ろうと言うのは想いは良いが
実際には厳しいかも知れない。