
『ごまかさないクラシック音楽 (新潮選書)』
(岡田暁生、片山杜秀 著/新潮選書/2090円/350ページ)
この2人にクラシック音楽を語らせたら止まらない。古楽から古典派、ロマン派、現代音楽まで、縦横無尽に語り合った。ベートーヴェンはなぜすごいのか。モーツァルトはなぜ愛されるのか。寄り道だらけの対談から、クラシック音楽の楽しみ方が見えてくる。
──共著者である岡田暁生氏とは長時間の対談になったそうですね。
1回3時間以上の対談を6回やって合計では20時間以上。1冊の本を作るだけならばその半分もあれば十分だった。さらに話があちこちに脱線するから、編集者は大変だったはず(笑)。
第1章の前に序章を置いて「バッハ以前の一千年はどこに行ったのか」を議論したのは、岡田さんがその問いを投げかけてきたから。そもそもバッハ(1685〜1750)以前の音楽が古楽と呼ばれ、どうしてクラシック音楽と区別されているのかを2人で詳しく論じた。クラシック音楽とは何かを考えるうえで重要なポイントなので、その話をできてよかった。想定外のシナリオは対談の面白さです。
作曲家の曲調にも影響した社会背景
──バッハは「クラシック音楽の父」と呼ばれていますが、それがなぜなのかを社会背景や歴史にまで踏み込んで解説しています。
教科書的にいえば、バッハは、複数の旋律を重ね合わせる「対位法」を極限まで推し進めて、後世の模範になった。その意味でまさにクラシック音楽の父の名にふさわしい。
だがその音楽を西洋史の中で位置づけると、18世紀に広がりつつあった近代的、あるいは市民社会的な平等性を音楽の中で実現している、と解釈できる。主役の楽器は1つだけでなく、どれかが突出したり自己主張したりすることはないという点で平等です。
さらにバッハはプロテスタントの音楽を体現している。例えば日本でもファンが多い「マタイ受難曲」は、プロテスタント教会での賛美歌の伝統を踏まえ、皆で親密かつ真摯に歌う。ヘンデル(1685〜1759)やテレマン(1681〜1767)、モーツァルト(1756〜91)のような、派手で楽しい要素は薄く、禁欲主義が感じられる。マックス・ウェーバーをもじっていえば「バッハの音楽と資本主義の精神」といった趣がある。
カトリックはきらびやかな宮廷文化と密接で、非倹約的だ。同じキリスト教でもプロテスタントとは随分と違う。バッハは音の「組み合わせ」をとても大事にしていて、理詰めで戦闘的だ。
──モーツァルトは理詰めではなく軽やかさが特徴です。
モーツァルトの曲は短調、長調にかかわらず、浮遊感がつねにある。長調だといわれても、局所的には短調だか半音階(各音の間がすべて半音を成す音階)だか、メロディーをどの軌道に乗せたいのかよくわからないところがある。
フランス革命(1789〜99)の衝撃が欧州を襲った激動期に、モーツァルトは旧体制の中で不安を覚えていた。不安の中でうねって、浮遊して、さまよっている。それゆえ、漠然とした不安を抱いている現代人にもフィットする。
──ベートーヴェン(1770〜1827)への評価がユニークです。岡田氏は「『クラシック音楽業界』という名の大企業をつくった豪腕社長」であると。
まさにそう。創業者であり、今でも結局、クラシック業界はベートーヴェン頼みだ。交響曲、ピアノ協奏曲、ピアノソナタ、弦楽四重奏曲、と何でもありだ。
ベートーヴェンはそれまでの限られた聴衆を相手にしていた作曲家と違い、市民社会の到来によって何百人、千人単位の聴衆を前にして音楽を聴かせる作曲家のはしりになった。つまり音楽リテラシーのない市民を納得させなくてはいけない。熱量の高さはその特徴だ。のちにドイツが普仏戦争(1870〜71)に勝って国際的な力をアピールすると、ベートーヴェンの“ガンバリズム”は世界にあまねく受け入れられる。
だからベートーヴェンが日本でずっと人気があるのもよくわかる。戦前、戦後を通じ欧米に追いつこうとしていたし、文明の進歩を音楽で実感させる存在。さらには耳が聞こえなくなっても作曲に励んだ刻苦勉励のストーリーがある。
ベートーヴェンの音楽には、人間をさらなる高みに引き上げるべく「頑張れ、頑張れ」と怒鳴り続ける、スポーツの鬼コーチのような怖さとしつこさがある。ワーカホリック的といってもよい。
クラシックは知性と感性を磨くツール
──クラシック音楽が民族意識・国民意識を鼓舞してきたことや、軍隊や軍楽との関わりが深いことを詳しく論じています。
ロマン派でフランス人のベルリオーズ(1803〜69)の音楽には、フランス革命や、7月革命(1830)、その前後の戦争の影響がある。この時代に吹奏楽が発展し、パリ音楽院では管楽器教育が充実していった。軍楽は野外で遠くまで聴かせる必要があるので、太鼓や金管楽器の比重が増す。ベルリオーズはそれを屋内の音楽にフィードバックさせたわけだ。
フランス革命で生じた国民皆兵の思想は欧州全体に広がり、どの国でも行進曲やマーチングソングが作られた。ロマン派以前の古典派も実は軍楽と関係が深い。例えばハイドン(1732〜1809)の交響曲第100番「軍隊」にはトルコ風軍楽が持ち込まれている。
ぐっと時代が下った、第1次世界大戦から第2次世界大戦までの時代では、レコードやラジオの普及もあって、大衆動員のためにどの国でも行進曲や軍歌が盛んに作られた。それらはクラシック音楽と境界線を引けるものではない。
──クラシック音楽はどんなふうに楽しんだらよいでしょうか。
クラシック音楽が高尚なんて時代は昔のこと。音楽趣味が多様化し、クラシックだからハイブラウだと認識される時代ではなくなった。かといって趣味以上の意味はないというのは言いすぎだ。30分や60分の曲を聴き込むためには、難解な長編小説を読み込むのと同等の解釈力が必要。背景についての知識もまた必要。音はどんどん過ぎるから記憶力も大事。聴く人のトータルな能力が問われる。知性と感性を磨くツールとしてこれ以上のものはなかなかない。
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片山杜秀(かたやま・もりひで)/
慶応大学教授。1963年生まれ。
政治学者(政治思想史)、音楽評論家。慶応大学法学部教授。
政治思想史で多くの著作を送り出すだけでなく、音楽評論の分野でも多彩に活動。
『音盤考現学』『音盤博物誌』で吉田秀和賞とサントリー学芸賞を受賞(2008年)