アフガニスタンで凶弾に倒れたNPO法人「ペシャワール会」(福岡市)現地代表の中村哲医師(享年73)の父、勉さん(1904~79)が社会運動に奔走したことは知られていない。関東大震災での経験を原点に、港湾労働者の生活力向上を目指して活動し、義理の兄の芥川賞作家火野葦平(06~60)とともに検挙されたこともある。火野葦平資料館(北九州市若松区)の坂口博館長は弱者に寄り添う哲さんの姿を、勉さんの生き方に重ね合わせている。
若松町(現同区)で生まれた勉さんは、福岡商業学校(現福岡市立福翔高)を経て早稲田大に進学。中退後、24歳の頃に若松築港株式会社(現若築建設)に就職した。
地元の石炭荷役業「玉井組」で働いていた葦平と知り合い、労働運動などで親交を深めた。30年には葦平の妹の秀子さんと結婚。46年、2人の間に生まれたのが哲さんだ。
大学在学中の23年、関東大震災に遭い、日常を失った市民の惨状や、混乱に乗じた朝鮮人への迫害を目の当たりにした。以後の社会運動や平和主義指向を決定づけたという。
「哲さんの生き方と重なって見える」