(一部引用)
3月6日、第43回日本アカデミー賞の授賞式が行われ、『新聞記者』が作品、主演男優、主演女優の3部門で最優秀賞を受賞。4部門で受賞した『キングダム』や、同じく3部門の『翔んで埼玉』もあったが、授賞式の主役は『新聞記者』となった。
この結果の第一印象は、サプライズであった。『新聞記者』が頂点に立つと思っていなかったからだが、冷静に考えれば順当な結果と言えるかもしれない。
同じような考えの人が多かったようで、最優秀作品賞発表の後は、SNSで「まさかと思ったが、これで日本アカデミー賞を見直した」という書き込みが多く見受けられた。日本アカデミー賞といえば、かつて「大手映画会社の持ち回りで賞を取らせているのでは?」「日本テレビが放映してるイベント」などという批判もあり、たしかに受賞結果を見ると、映画の質を基準に決められたとは思えない年もあったりして、映画ファンにはあまり信頼されていなかったのも事実である。
そんな日本アカデミー賞が、マスコミの視点から政権を批判する面もあり、公開前はTVでの宣伝も思うようにできず、しかも大手配給でもない『新聞記者』に栄誉を与えたのは、勇気ある決断だと受け止められ、公権力や映画会社への忖度に関係なく賞が決まる、と改めて認識されたようでもある。サプライズのあまり、最優秀主演女優賞受賞に感激するシム・ウンギョンの姿に、素直に感動した人も多かったはずだ。
一方で、この結果に対して罵詈雑言のツイートも目立つ。「反日の捏造記者をモデルにした作品が受賞」「日本アカデミー賞なのに、なぜ韓国人女優が?」「これでは“赤”デミー賞」などなど。『新聞記者』の主人公は、東京新聞の望月衣塑子記者をモデルにしており、内閣調査室の闇を描いていることから、「反政権のプロパガンダ」などとの批判もあった。しかし実際の作品はフィクションであり、世界の多くの国の常識で考えれば、このような映画が作られるのは自然なこと。できあがった作品に対して批判が上がることも、ある意味で当然であり、健全な姿でもある。
逆に考えれば、2013年の最優秀作品賞『永遠の0』は、「戦争を賛美する」という批判も上がった作品であり、日本アカデミー賞が極端な思想に支配されているとは、どう考えても的外れである。同じように、この『新聞記者』の受賞が、たとえば新型コロナウイルスへの対応をはじめ、現政権への批判の流れの表れというのも、こじつけのような気もする。
もともと作品の質だけでなく、ある程度、話題性も重要視されるのが日本アカデミー賞である。2019年の優秀作品賞を並べると
『キングダム』
『新聞記者』
『翔んで埼玉』
『閉鎖病棟ーそれぞれの朝ー』
『蜜蜂と遠雷』
正直、インパクトに欠けるラインナップであり、『新聞記者』が自然と浮上してきた……と考えるのが妥当だろう。優秀賞を最多受賞している『翔んで埼玉』は、たしかに話題性としては十分だが、はっきり言って作品の仕上がりやテーマとして「一年を代表する映画」として選ぶのには躊躇する。質という点では『蜜蜂と遠雷』を推したいが、世間的にあまり話題を集めた作品ではない。このあたりを総合的に考えて、『新聞記者』に投票した人が多かったのではないか。『新聞記者』も、映画として「めちゃくちゃ傑作」と誉める人は、じつはそれほど多くない。この映画を作った「勇気」を讃える声と、さまざまな論議を呼んだ功績が加味されたのではないか。そもそも2019年は、傑出した作品が極めて少なかった年だったのだ。2018年の『万引き家族』のように話題性、作品の完成度、ともに群を抜く作品がなかったのである(同年の『カメラを止めるな!』が2019年だったら、最優秀の可能性があったかも)。
日本の映画賞という点で、日本アカデミー賞と比較しやすいのが、今年で第93回という長い歴史を誇るキネマ旬報ベスト・テンである。評論家による選定なので、一般観客との温度差もかなりあるが、話題性やヒットは考慮されない。日本アカデミー賞と結果が一致することは少ないのである。
(中略:日本アカデミー賞最優秀作品賞と、キネマ旬報での順位の比較)
いずれにしても、今回の受賞で再び『新聞記者』に注目が集まったわけで、新型肺炎によって公開延期作品が続出する映画館で、ぜひ凱旋上映などしてもらいたい。そこで初めて観る人が増えることで、また新たな論議が起これば、それこそ「表現の自由」を示すことができる健全な社会なのだから。