東京新聞社会部の記者、望月衣塑子(いそこ)さんの著書を原案にした同名の映画「新聞記者」(2019年)のドキュメンタリー版ともいえる「i-新聞記者ドキュメント-」(19年)が、公開中だ。第32回東京国際映画祭の「日本映画スプラッシュ」部門で作品賞を受賞。オウム真理教を題材にした「A」(1998年)と「A2」(01年)、佐村河内守さんを追った「FAKE」(16年)で、メディアの現状をカメラで捉えた森達也監督。映画からは、「私たち一人一人が“個”として考え、意見すべきではないか」、そんなメッセージも伝わってくる。
【西田佐保子】
「スーパー記者」をテーマにした映画ではない
17年の夏ごろ、プロデューサーの河村光庸さんから「『新聞記者』のドラマ版とドキュメンタリー版を並行して撮ってくれないか」というオファーがあり、結果的にドキュメンタリーだけを撮ることに――。
森監督に撮影のきっかけを聞くと、意外な答えが返ってきた。望月さんについては、「以前から知っていて、おもしろい存在だと思っていました。女性を撮ったことがなかったから、刺激にもなるかな、と」。ただ実際、被写体が女性でも「特に変わらなかった」と明かす。
「非常に活動的でポジティブな記者」だという望月さんのイメージも、撮る前と後で大きな変化はなかった。「彼女はいい意味でも悪い意味でも裏表がない。しいて言えば、コケティッシュで、抜けているところがある。記者としては決して万全じゃないですよ。いろいろな欠点も見えてきましたが、そもそもスーパー記者をテーマにするつもりじゃなかったから」
東京国際映画祭の舞台あいさつで、「望月さんが泣いているシーンを撮ろうと目薬を渡したけれど、うまく撮れなかった」と話した。「泣き顔を撮れたらどこかで使えるかもしれないと思ったけど、『何でこんなことしなくちゃいけないの』という顔をされました。心外だったのかな。その意味では強い女性です」。映画では、首相官邸で行われる記者会見で、報道室長に質問を遮られたり「あなたに答える必要はありません」と菅義偉官房長官に言い返されたりする望月さんが映る。「2年以上、あの状況で記者会見に出席している。僕だったら2週間で退散していますね」
印象に残るのは、“強い”望月さんが弱々しく階段を上るシーンだ。その後ろ姿に、孤独がにじむ。ただ、「ドキュメンタリーは嘘(うそ)をつく」を撮った森監督である。演出かと疑いもしたが、「不思議ですよね。こういうとき、ドキュメンタリーの神が降りてきた、と僕たちドキュメンタリー関係者は言いますが、何回も降りてきましたよ」と返ってきた。
望月さんを多くの女性が支援する。さまざまなシーンに「男女の断絶」が可視化される。「意識はしていなかったけれど、スペインの新聞社の記者に、『ジェンダーを問題提起している映画に見えた』と言われて、『なるほど』と思った。結果的にそうなっていますね。ヨーロッパから見れば、記者はほとんど男だし、政治家はさらに男ばかりで異様な光景でしょうね」
「過度なそんたくと同調圧力」を感じる
カメラは、記者として働く望月さんの姿だけでなく、彼女がキャリーケースを引きながら取材に駆け回る、辺野古基地移設問題、伊藤詩織さんの性暴力被害事件、森友・加計学園問題にも迫る。「これらのトピックスは、実態がクリアにならないうちに、いつのまにか話が流れていった。今大騒ぎになっている、でもすぐに下火になるだろう、桜を見る会も同じです」
「ドキュメンタリーは、撮る側と撮られる側の距離と角度を見せるもの。テレビはこれを隠してしまう。自分をさらけ出すかどうかは別として、撮る側の座標軸はしっかり示すべきです」。官房長官の定例記者会見での撮影を試みるが許可されず、警備員には官邸前の公道でカメラを回すことを制止される。カメラは、そんな森監督の目を通した世界を映し出す。「望月さんの姿を撮りたいのは当たり前で、同時に僕のアプローチがもしかしたら、彼女のメディアへの閉塞(へいそく)状況に対する抵抗への補助線になると思っていたから」
日本社会はオウム事件以降に変わったと発言してきた森監督。メディアにおいても同様で、過剰なそんたくや、同調圧力を「A」を撮っている時から感じていたという。「周りのディレクターや記者から『なんでおまえは(オウム施設内で)撮れたのか』と聞かれるけれど、答えは『撮りたい』とオファーしたら、『いいですよ』と言われたから。推測だけど僕以外のメディアの人は、『オファーしてはいけない』『危険すぎる』と考えていたのかな。誰だって撮れたのに。今は、そのころとほぼ同じ、もしかするとその傾向は大きくなっているのかもしれませんね」
何よりセキュリティーを優先させるようになった。「どんな表現にもリスクは必ずある。でもリスクが怖くなった。万が一の可能性をゼロにするためにはどうすればいいか。何もしないことです。つまり表現しない、展示もしない、上映もしない。そして報道しない。それが一番安全だから。でもこれは、特にメディアにとって自殺行為です。その傾向が強まっています」
「あいちトリエンナーレ」では表現の不自由展が一時中止され、「KAWASAKIしんゆり映画祭」では慰安婦問題をテーマにしたドキュメンタリー「主戦場」の上映の見送りが発表された(後に撤回)。「検閲、政権の圧力、などという言い方をする人もいますが、違います。自主的な“他律規制”です」
日本映画大で11月4日に行われた公開講座「作品研究『主戦場』シンポジウム『表現をめぐって…芸術と社会』」で「主戦場」のミキ・デザキ監督は、「配給してくれた5人の社員しかいない東風のような小さな会社が、日本の表現の自由を守っている。怖い状況だ」と訴えた。「大きな会社になるほど、個人の意思が通りづらくなる。コンプライアンスやリスクヘッジのため危ないものには手を出さない。皆が見に来る映画、部数が伸びる本、視聴率を取れる作品を優先する。それは企業の論理です。それに対して、“個”の記者やディレクターが意思を示す。そういうせめぎ合いがジャーナリズムだと思います。日本の場合、組織の論理が強くなって、個がどんどん消えてしまっている気がします」
日本外国特派員協会で「i-新聞記者ドキュメント-」の上映後、森監督と河村プロデューサーによる記者会見が12日に開かれた。「海外の反応は興味深かった。日本のジャーナリズムに不満を持っている特派員は少なくないようで、『このような映画がどうして今まで出なかったのか、不思議だった』という話も出てきました」
映画「新聞記者」や「i-新聞記者ドキュメント-」のような映画が注目されている。「どうかな、所詮映画だからね。社会を変える力などないです。でも、たまたま映画を見た人が、もしかすると社会を変えてくれるかもしれない」
実際、ドキュメンタリー映画の最大のジレンマは、「一番見てほしい人に届かない」ことではないだろうか。「打つ手はないです。ずっとジレンマですね。パブリシティーで変わる可能性はあるけれど。なんとかそこを超えたい。保守の人にも見てほしい。この記事の最後に、『なんと森が反権力の望月をとことんやっつける痛快な映画です』とか書いてくれないかな」
「i-新聞記者ドキュメント-」の
「i」が意味すること
「まさか東京国際映画祭で上映されるとは。(プログラミング・ディレクターの)矢田部さんは『攻めてるな』と思いました」と話す森達也監督
「同じことやるのも飽きるでしょ」。森監督はインタビューで何度かそう口にした。ナレーションや音楽の使い方など、「i-新聞記者ドキュメント-」は、これまでの森監督の映画作品とは、明らかに表現が異なる。「それは、今の社会に対する焦りからではないのか」と問うと「よく言われるけれど違う」と否定した。「自分を踏襲してもしょうがないから。以前は余計な加工をしない『ダイレクトシネマ』という手法で撮っていたけど飽きちゃって、今回は遊ぼうかな、ってそのレベルです」
「とても強力な表現だと思っている」という音楽については、「僕が封印しているイメージを持っている人がいるけど、これまでも使っているし、いつでも使う気でいました」。ただ、映画のラストに、ナレーションとバックに流れる音楽は、「TOO(トゥー)・センチメンタル」に感じた。「かもね。だと思う」
「監督の意見なんて無視すればいい。あのシーンはどういう意味ですか、と言われても答えたくない」という森監督。だが最後に、どうしても聞きたい。「i-新聞記者ドキュメント-」の「i」は、私の「アイ」、「アイデンティティー」の「アイ」、そして一人一人が大きな主語の「ウイ」ではなく、小さくても個として意見を持つべきだという小文字の「アイ」を意味しているのではないか。
「『なぜ小文字なのか』と質問されて、『大文字だとかっこ悪いから』と答えたけれど、今、おっしゃっていただいた『小さな一人一人の個』と言えば、もう少し小文字の『アイ』の意味が明晰(めいせき)になりますね」。そして最後に付け加えた。「こういった僕の答えなんて最初から考えていたわけでなくて、後付けが7割です」
もり・たつや
1956年、広島県呉市生まれ。立教大学在学中に映画サークルに所属し、自身の8ミリ映画を撮りながら、石井聰亙(現在は岳龍)や黒沢清などの監督作に出演。86年にテレビ番組制作会社に入社、「ミゼットプロレス伝説 ~小さな巨人たち~」でデビュー。以降、報道系、ドキュメンタリー系の番組を中心に、数々の作品を手がける。98年オウム真理教の荒木浩さんを主人公とするドキュメンタリー映画「A」を公開。2001年続編「A2」が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。11年に東日本大震災後の被災地を撮影した「311」を綿井健陽、松林要樹、安岡卓治と共同監督。16年に「Fake」を発表した。
上映情報
【i-新聞記者ドキュメント-】
丸の内ピカデリー、新宿ピカデリー、京都シネマ、札幌シアターキノ、
KBCシネマ、桜坂劇場ホールなどで公開中、
ほか全国順次公開
公式ウェブサイト
https://i-shimbunkisha.jp/