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観劇レビュー&旅行記
【観劇レビュー&旅行記】を中心にFC2上で、私も思いを気の向くままに書いてゆきます。 政治・時事評論は 【JUNSKY blog 2018】に引続き運用します。リンクの一番上に記載しています。


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Author:junsky07 私の旅行記や、オペラ・バレエ・ミュージカル・演劇等の観劇の感想などを気の向くままに書いてゆきます。



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裕仁天皇(当時)『拝謁記』 公開に関する記事
2019年8月30日(金)

 当時の裕仁天皇(昭和天皇という呼称は死去後のおくり名)の言動を
田島道治・初代宮内庁長官がリアルな覚書としてノートに詳しく残していた。

20190820_RyukyuShinpo-01_20190902004737509.jpg


 死の直前に家族に対して焼却するように依頼したと言うが余りの重要さに
遺族が秘密裏に保管したまま『忘却』していたそうである。

 昭和も30年前の1989年に終わり、平成も今年終わって令和になったことで
この重要な記録を公開するべきだと御遺族が判断しNHKに持ち込んだ。

20190820_OkinawaTimes-01_20190902004738900.jpg


 NHKでは、ニュースで【第一報】(番戦にも思えたが)を流し、
【Nスペ】で詳しく報道した。

 その数日後、この重要資料を独占せずマス・メディアにも公開した。

 NHKでは、情報を再構成した新しい番組をETV特集で放送する予定。


【「昭和天皇は何を語ったのか~初公開“拝謁記”に迫る~」】
 NHK-ETV - 2019年9月7日 23:00 ~ 24:30



     ******************

昭和天皇拝謁記 平和希求へ新たな教訓に
 西日本新聞 - 2019年8月22日


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昭和天皇の「肉声」記録 軍部増長に「反省」の重み
 毎日新聞【社説】 - 2019年8月20日


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  (西日本新聞 紙面から)


拝謁記
昭和天皇、戦争への悔恨 「反省といふ字どうしても入れねば」 表明実現せず

 毎日新聞2019年8月20日


20190820_Hirohito-Haietuki-02_20190902004735d00.jpg
  (西日本新聞 紙面から)

戦後「象徴」手探り 拝謁記「君主」にじむ
 毎日新聞2019年8月20日



     *************

昭和天皇拝謁記 平和希求へ新たな教訓に
 西日本新聞 - 2019年8月22日

 あの無謀な戦いとは何だったのか。天皇であっても止めることはできなかったのか。

 昭和の戦争と平和を再考する上で、貴重な一次史料が見つかった。初代宮内庁長官だった田島道治が書き残した昭和天皇との詳細な会話記録である。

 「拝謁(はいえつ)記」と題された1949年から53年までの手帳やノート計18冊だ。新憲法で「象徴」となった天皇による戦争の総括と、それを基に国民に発しようとした「お言葉」を巡る生々しいやりとりがつづられている。

 特筆すべき第一は、太平洋戦争の「起点」と「終点」に関する認識である。

 拝謁記によれば天皇は、軍部暴走による張作霖爆殺事件(28年)の処罰をあいまいにしたことが「今日の敗戦ニ至る禍根の抑々(そもそも)の発端」と断じた。

 その上で「終戦で戦争を止める位なら宣戦前か或(あるい)はもつと早く止める事が出来なかつたか」と語りつつ、軍部による「下剋上(げこくじょう)」のような勢いに流されたことを告白している。

 第二は、自らの戦争責任への言及である。

 52年のサンフランシスコ平和条約発効に伴う独立回復式典での声明を巡り、「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」などと繰り返していた。退位論につながることを懸念した吉田茂首相らが反対し、深い悔恨の念を表現した一節は削除された。

 昭和天皇は戦後30年がたった75年、記者会見で戦争責任について問われ、「そういう言葉のアヤについては、よく分かりません」と答えた経緯がある。

 先の大戦に対する責任の自覚と、それを公に口にすれば国政上の権限がない象徴の規定に反するという葛藤が、一連の流れからうかがえる。再軍備のための改憲論もいさめられた。

 戦前戦中の元帥から象徴に変わりゆく昭和史の重大な断面が示されている。

 上皇さまは、これと同じ内容の話を昭和天皇から聞かれていたという。日本の主権回復を記念する式典声明には反省という文字が不可欠だったという認識を踏まえ、象徴天皇はどうあるべきか、平成の30年にわたり模索された。それが戦争や災害の被災者に寄り添い続ける天皇像の礎となったとも言えよう。

 拝謁記が描くのは、最側近の目を通じた天皇像であり、個人のメモである点も踏まえた今後の検証が待たれる。読み方はさまざまあろう。とはいえ、戦争責任や改憲を巡る政治の論議で、自説正当化のために都合よく引用することは慎むべきだ。

 大事なのは昭和、平成を経た今、未来に向けて平和を希求するために、何を教訓として読み取るかである。



昭和天皇の「肉声」記録 軍部増長に「反省」の重み
 毎日新聞【社説】 - 2019年8月20日

 終戦後、昭和天皇が田島道治初代宮内庁長官と交わしていた約5年間のやり取りが明らかになった。

 田島元長官が個人的に記録していたもので、昭和天皇は1952年5月の独立回復式典に際し、自らのお言葉で「反省」を表明する意向を示していたが、宮内庁幹部や当時の吉田茂首相が反対し、当初の文案から削除された経緯などが分かる。

 「反省」の中身について、同年2月、昭和天皇は「軍も政府も国民もすべて下剋上(げこくじょう)とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事がある」などと述べたという。

 元長官が残した他の記録から、昭和天皇は東京裁判のA級戦犯被告への判決(48年11月)に際し、戦争を悔恨し、国民に謝罪したい意向を持っていたことが知られている。その時は実らなかった希望を、その後も追求していたのであろうか。

 だが、明らかになった発言では、天皇から国民や他国への謝罪というより、日本人全体が軍の独走を止められなかったことを皆で「反省」しようという趣旨のように読める。

 昭和天皇は戦後30年の75年、初の訪米から帰国後、記者会見で戦争責任について問われ、「そういう言葉のアヤについては、よく分かりません」などと答えたことがある。二度と戦争を繰り返したくない決意は尊いが、天皇が「反省」を言う以上、戦争責任問題は避けて通れない。

 まして52年2月の別の日、昭和天皇は再軍備と憲法改正の必要性に言及していた。同年5月の発言には「再軍備によって旧軍閥式の再擡頭(たいとう)は絶対にいや」ともある。

 新しい象徴天皇制のあり方を模索していた時期とはいえ、昭和天皇が依然として、君主としての感覚を持ち続けていた様子がうかがわれる。

 吉田首相がお言葉に「反省」を盛り込むことに反対したのは、東京裁判の結果、政治的に決着したはずの退位論が蒸し返されるのを封じるためだったとみられる。朝鮮戦争特需で経済復興は勢いづき、世相も未来志向を求めていた。

 さまざまな思惑や力学で「反省」の表明を見送った独立回復は、その後の日本の歩みにどのような光と影をもたらしただろうか。昭和天皇がこだわった「反省」のあり方は、今なお私たち自身の問題でもある。




拝謁記
昭和天皇、戦争への悔恨 「反省といふ字どうしても入れねば」 表明実現せず

 毎日新聞 - 2019年8月20日 終戦後の初代宮内庁長官だった田島道治が在任中の昭和天皇とのやりとりを詳細に記した文書が明らかになった。
 昭和天皇は戦争への強い反省の気持ちを1952年5月の独立回復式典で表明しようとしていたほか、独立前後に再軍備や憲法改正の必要性に言及するなど象徴天皇となっても政治的な意見を首相に伝えようとしていた。
 これまでの研究で指摘されていた内容もあるが、昭和天皇の生々しい「肉声」が表面化するのは珍しい。

 宮内庁が編さんした「昭和天皇実録」にない内容も多く、占領期や象徴天皇制の成り立ちなどを考える貴重な資料となりそうだ。
【和田武士】
(以下略;有料記事)




戦後「象徴」手探り 拝謁記「君主」にじむ
 毎日新聞【クローズアップ】 - 2019年8月20日
 初代宮内庁長官の田島道治が終戦後に昭和天皇とのやり取りを詳細に記していた「拝謁記」と題されたノートや手帳には、揺れ動く昭和天皇の思いが書き込まれていた。
 資料の正確性は今後の検証に委ねられるものの、その内容からは昭和天皇の戦争への率直な思いや、新憲法で規定された象徴天皇のあり方を模索する姿が浮き彫りになった。
【栗原俊雄、野口武則、山田奈緒】
(以下略;有料記事)








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テーマ:皇室 - ジャンル:ニュース

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