2018年12月16日(日)
幕末維新と洋楽の誕生 〜 最初の天才作曲家・滝 廉太郎 まで 〜

講師:伊藤 玲阿奈(れおな) 福岡県出身。指揮者。 facebook : 伊藤 玲阿奈 https://www.facebook.com/reonaito
博多駅前センタービル 6F-D 2018年12月16日(日) 18時30分〜20時30分
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(以下は、iPad によるダイレクト入力につき講演の一部です。 「文責」は投稿者にあります)
【明治150年の位置付けについて】
幕末維新の概要。 鎖国・クロブネ来航・幕末維新の流れ。(略)
その中で、いわゆる洋楽はどのように入ってきて活用されたか。
滝 廉太郎の曲
『花』『荒城の月』『箱根八里』『お正月』 等などは殆どの方が知っている。
日本への『クラシック』の伝来
1549年 宣教師:フランシスコ・ザビエルが来航し、賛美歌を普及。 それが日本と所謂『クラシック音楽』の出会いであったが、 キリスト教 「禁教」で一端途絶えた。 (引用者注:一部の潜伏キリシタンが伝承。世界遺産登録への契機にも。 当時宣教師が伝えたラテン語を『オラショ』として口伝のみで伝えた。 書いたもので残すと弾圧にあった時に信仰の証拠となるので。 470年後の今もラテン語が元であると確認できる部分も残している)
【軍楽隊】
幕末(1850年代から1868年)に入った音楽は軍楽隊のものであった。 安全保障の為。
無線も電話も無い時代。 トランペット(喇叭)や太鼓で合図していた。 戦前の陸軍の喇叭(ラッパ)での合図を音で紹介。
英国陸軍音楽隊がMozartの 『魔笛』序曲を演奏したのが、 記録に残る日本での最初のクラシック演奏。1865年。 (引用者注:今年はBeethoven の「第九」が演奏されて百年目と TVニュースで言ってたが、四国でドイツ軍捕虜が部分演奏したのは もうちょっと前だったような気がする)
軍隊の分列行進などでの士気高揚に使う。
慶応年間(幕末)に既に各地方でも『軍楽隊』が組織されていた。 小は数名から大は数十名の編成。
【唱歌】
『学制』発布とともに音楽にも着目した。 (引用者注:『学制』制度設計は佐賀藩出身の江藤新平が主導)
教育の重要性にも 着目し、音楽の教育にも目を向けた。 明治5年学制の発布と伴に、『唱歌』を定めたが、 楽譜を読める教員も居なかったので、実際には教育できなかった。 なお、当時は「音楽」のこと全般を『唱歌』と規定した。
『音楽取調掛』設立 1979年 (滝 廉太郎の生年)
1881年 ようやく『小学唱歌集』を伊藤修二氏が編纂。
当時の人々に西洋音階(ドレミファソラシド)の感覚は無かった! 民謡はファ・シ抜き(ヨ4ナ7抜き)音階だったので、 伊藤修二さんも最初はファとシの音程が取れなかったと言う。
【作歌】(さっか)
外国から歌を借りて来て日本語の歌詞を乗せた。(作歌:さっか)
『むすんでひらいて』の『作歌』の変遷について
『むすんでひらいて』も元は軍歌『進撃追撃』であった。 明治38年(日露戦争の時) 更にその前は『見渡せば青柳・・・』で花を愛でる歌であった。 明治14年の唱歌集。 この曲の元歌は、フランスで1600年代に作られたルソーの楽曲。 ジャン・ジャック・ルソーのオペラ『村の占い師』の中の一曲。 ルソーは『社会契約論』で有名な思想家だが作曲も多く残した。 終戦後、『むすんでひらいて』という新しい歌詞が付けられ 今も『むすんでひらいて』として幼児が習っている。 (今日、若い母親と参加した幼児が今も歌っていると『証言』;笑)
【東京音楽学校】
音楽取調掛は、1887年に『東京音楽学校』に改称
幸田延(のぶ:明治3年生まれ)が初の官費留学生で欧米に留学。1889年。 初めて五線譜を使って作曲した日本人とされている。 楽曲再生。(40秒ほど)
滝 廉太郎の登場
1879年8月24日生まれ マーラーの生きていた時代。 1903年6月29日没 23歳10ヶ月。12〜14歳を大分県竹田市に住む。 ここの『岡城址』が荒城の月のインスピレーションを与えたと言われる。 歌詞の方は、土井晩翠が作ったので『岡城址』がモデルでは無いだろう。
大分でただ1人オルガンを弾ける先生に弟子入り。
音楽の私塾である『唱歌会』に入塾し、 小山作之助の激励を受けて勉強に励み東京音楽学校に合格。
【滝 廉太郎 東京音楽学校に入学】
満19歳で東京音楽学校に入学。 ピアノ演奏が得意であったが、 1900年、21歳の時に『メヌエット』を作曲。 日本初の芸術的ピアノ曲。 音源を再生。提示部・展開部・中間部・再現部もある本格的な楽曲
(それでも、およそ2分程度だが当時としては画期的)
当時は海外のメロディーに無理矢理日本語の歌詞をつけた。 「作歌」と称した。 (前述)
滝廉太郎も作歌を行い、17歳で『砧』の歌詞を付けた。
『流浪の民』 ロベルト・シューマン作曲
シューマンの『流浪の民』のドイツ語での演奏を映像で。 次に、現在歌われている日本語の演奏。(ほぼ原曲の意味を活かした訳) 明治期の鳥居枕(立心辺)作歌の『薩摩潟』(西郷隆盛称賛)を再生して比較。
この異様さに気付いた滝 廉太郎が『唱歌』の募集に応募し、 全体で38曲選定された内の3曲が滝 廉太郎のものだった。 『箱根八里』『荒城の月』『豊太閤』の3曲。
【荒城の月】
滝 廉太郎のオリジナルは、単旋律だけで、ピアノ伴奏は無しだった。 (自筆譜 投影) おまけに、『はるこうろうの はなのえん』の 『え』に『#』がついて半音高い。 これを山田耕筰がピアノ伴奏を付けて編集した時に『#』を外した。 それが、今教科書に載っている楽曲となっている。 (引用者注:ダークダックスは『#』付きで歌っていたように思う)
TVドキュメンタリー『知ってるつもり』の一部を再生。 (『#』が付いていない!)
ライプツィッヒに男では初の官費留学生として留学するも 肺結核に罹り(悪化し?)2ヶ月で断念。 無念の帰国。 大分の故郷へ帰る。 (この辺は、重要なポイントだが映像に注目していて書きとれず。 映画【滝 廉太郎物語】1993年上映 でも詳しく描かれていた。)
遺作『別れの歌』 『憾』
故郷で自らの境遇を描いた『別れの歌』 『憾』を作曲。
最晩年の『別れの歌』 混声四部合唱を映像で再生。
ピアノ独奏曲『憾』を上記TVドキュメンタリーから再生。 (引用者注:ほぼ全曲のようだった)
(上の映像は大分県日出町公式チャンネルより 伊藤 玲阿奈 さんが引用: ピアノ;佐藤麻実子)
私は映画【わが愛の譜 ~滝 廉太郎物語~】で初めて聴いたと思う。
以上です。
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伊藤 玲阿奈 さんの facebook サイト: 伊藤 玲阿奈 https://www.facebook.com/reonaito
伊藤 玲阿奈 さんの YouTube サイト: reonaitoorchestra 上のリンクから次の順で追って行くと【遺作 『憾』】などの映像が見られます。 → 再生リスト → 最初の天才作曲家~滝廉太郎 より 絶筆の曲「憾(うらみ)」(死の4か月の作品)... 瀧廉太郎の生涯「知ってるつもり」ドキュメント...
【参考映像】
瀧廉太郎の生涯「知ってるつもり」ドキュメント部分(約28分)
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映画【わが愛の譜 ~滝 廉太郎物語~】
映画【わが愛の譜 ~滝 廉太郎物語~】 予告映像(150秒) 滝廉太郎;風間トオル、中野ユキ;鷲尾いさ子、幸田延;壇ふみ 音楽;佐藤勝、撮影;木村大作、監督;澤井信一郎 1993年滝 廉太郎・没後90周年を祈念して制作された。
Movie Walker による作品紹介 【わが愛の譜 ~滝 廉太郎物語~】
 1993年8月21日(土)公開
『花』『荒城の月』の作曲者として知られる滝廉太郎の恋と友情に生き、音楽活動に燃えた短い生涯を描くドラマ。 廉太郎没後九十年を機に、本格的なドイツ・ロケを交えて作られたもので、劇中には滝廉太郎の代表曲やシューマン、ベートーベンらの名曲が挿入されている。 監督は「福沢諭吉」の澤井信一郎。脚本は澤井と宮崎晃、伊藤亮爾の共同。 キネマ旬報ベストテン第八位。
【作品データ】 製作年 : 1993年 製作国 : 日本 配 給 : 東映 上映時間 : 125分
【ストーリー】 中野ユキが廉太郎に出会ったのは彼が東京音楽学校へ入学した明治二八年の夏だった。 (引用者注:中野ユキのモデルは幸田延(のぶ)の妹・幸田幸(こう)と思われる。 滝廉太郎と幸田幸はドイツで文通や交流はあったが恋愛関係は不明。 フィクションか?) 廉太郎は先輩・鈴木毅一と友情を深めつつピアニストとしての道を邁進するが、生来の身体の弱さに無理がたたり療養のため故郷の大分県竹田へ呼び戻される。彼の世話をする女中の芙美は廉太郎に思いを寄せるが、音楽への夢を語る彼との隔たりは大きく、その気持は伝えられなかった。 復学した廉太郎は第一回留学生の幸田延の帰朝演奏会に感動し、また由比クメらを中心とした新しい唱歌運動のために『花』から始まる組歌『四季』を作曲、その才能を開花させていく。 一方で自分の限界を感じ始めていた毅一は静岡の父が倒れたこともあり、志し半ば故郷に帰っていった。 ユキもまた廉太郎の才能に自信を失い、その反動で一層彼に惹かれ始めていくが、幸田延の推薦もあり廉太郎より先に第二回留学生に選ばれた。
明治三四年、遅れて廉太郎もドイツ留学を果たすが、ライプチヒ音楽院に入学した彼は自分の力を思い知らされる。 ユキもまたベルリンで才能に行き詰まりを感じ始めていた。 だがドイツという異郷で再会した二人はお互いに協力しベートーベン『熱情』の譜面へと向かっていく。 そして遂に二人の思いが通じ合った。だが『君のためにピアノ曲を書くよ』と廉太郎は言い残し、再発した胸の病を隠すためユキを残して去っていく。 日本へ帰国した廉太郎は病と戦いながらユキに捧げるピアノ曲『憾うらみ』を書きあげる。だが無情にも二三歳十か月という若さで、彼は世を去るのだった。
【キャスト・スタッフ】 役 名 : 配 役 滝廉太郎 : 風間トオル 中野ユキ : 鷲尾いさ子 鈴木毅一 : 天宮良 芙美 : 藤谷美紀 美佐子 : 浅野ゆう子 坂口 : 柳沢慎吾 由比クメ : 渡辺典子 橘糸重 : 一色彩子 島崎赤太郎 : ベンガル 小山作之助 : 秋野太作 幸田延 : 檀ふみ 相原 : 森本レオ 古本屋 : 藤田敏八 サク : 岡本麗 柴田環 : 佐藤しのぶ 滝民子 : 宮崎淑子 上原六四郎 : 神山繁 滝大吉 : 勝野洋 島崎藤村 : 榎木孝明 幸田露伴 : 柴田恭兵 滝タツ : 藤村志保 滝吉弘 : 加藤剛
監督 : 澤井信一郎 製作 : 高岩淡 、 漆戸靖治 プロデューサー : 中山正久 、 天野和人 、 和田仁宏 原作 : 郷原宏 脚本 : 宮崎晃 、 伊藤亮爾 、 澤井信一郎 企画 : 佐藤雅夫 、 萩原敏雄 撮影 : 木村大作 音楽 : 佐藤勝 美術 : 井川徳道 編集 : 市田勇 録音 : 堀池美夫 スチール : 遠藤功成 助監督 : 長岡鉦司 照明 : 増田悦章
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テーマ:クラシック
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