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観劇レビュー&旅行記
【観劇レビュー&旅行記】を中心にFC2上で、私も思いを気の向くままに書いてゆきます。 政治・時事評論は 【JUNSKY blog 2018】に引続き運用します。リンクの一番上に記載しています。


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劇団四季・創設者 浅利慶太さん御逝去 続報
2018年7月22日(日)

先日(7月18日)公表された浅利慶太さん死去の報に関して、
翌日の日刊スポーツは、第一面TOP記事を始め芸能欄を
2ページブチ抜きで報道するなど極めて力が入っていた!

その紙面をiPadで撮影したものを掲載します。

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【関連記事】

浅利さん劇団四季愛 強力なリーダーシップと包容力
日刊スポーツ コラム【舞台雑話】 2018年7月21日 13:00
https://www.nikkansports.com/entertainment/column/hayashi/news/201807210000042.html

劇団四季元代表の浅利慶太死去 キャッツなど演出
日刊スポーツ [2018年7月18日16時49分]
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201807180000526.html

市村正親「偉大な演技のお父さん」浅利慶太さん悼む
日刊スポーツ [2018年7月18日21時57分]
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201807180000898.html

鹿賀丈史涙、芸名は浅利氏から「非常に魅力的な方」
日刊スポーツ [2018年7月18日21時34分]
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201807180000857.html

小澤征爾氏「エネルギーに感服した」浅利さん悼む
日刊スポーツ [2018年7月19日8時23分 ]
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201807190000046.html

森英恵さん「日本にとって大きな力」浅利さん悼む
日刊スポーツ [2018年7月19日8時40分 ]
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201807190000045.html


・・・・・・・・・

劇団四季元代表の浅利慶太死去 キャッツなど演出
日刊スポーツ [2018年7月18日16時49分]
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201807180000526.html

 劇団四季の元代表で「キャッツ」や「ライオンキング」などのミュージカル上演を手掛けた演出家浅利慶太(あさり・けいた)氏が13日午後5時33分、悪性リンパ腫のため都内の病院で亡くなった。85歳だった。

 通夜・葬儀は近親者のみで行った。9月にお別れの会を行う予定。今年4月の「ミュージカル李香蘭」が最後の演出作品になった。




浅利さん劇団四季愛 強力なリーダーシップと包容力
日刊スポーツ コラム【舞台雑話】 2018年7月21日 13:00
https://www.nikkansports.com/entertainment/column/hayashi/news/201807210000042.html

 47年前に浅利慶太さんの演出作品を初めて見た。劇団四季「オンディーヌ」。水の精オンディーヌと騎士ハンスの恋を描いたフランスの劇作家ジロドゥの詩劇で、高校生だった記者はせりふの美しさに感動した。帰りの北海道の雪道にも心は温かかった。7年後、記者になって、浅利さん演出のミュージカル「ジーザス・クライスト=スーパースター」を見た。十字架のイエスが死に向かう姿が刻々と変わる照明の中に浮かび上がる。クリスチャンではないが、涙があふれた。見る度に心震える場面だ。

 以来、浅利さんの演出作品を何本見ただろうか。劇団四季で53年の創立から、4年前に劇団を離れるまでに約130本の作品を演出しているが、79年以降の作品はほとんど欠かさず見ている。ミュージカル「コーラスライン」「キャッツ」「オペラ座の怪人」「エビータ」「ウエストサイド物語」「マンマ・ミーア!」「美女と野獣」「ライオンキング」からオリジナルの「ミュージカル李香蘭」「「夢から醒めた夢」「ユタと不思議な仲間たち」、ストレートプレイでは「アンチゴーヌ」「ハムレット」「エクウス」「鹿鳴館」、ファミリーミュージカル「はだかの王様」まで、期待外れに終わったものはなかった。浅利さんが常々言っていた「観客に感動を与える演劇」という基本が守られた舞台ばかりだった。

 浅利さんは俳優には厳しかった。せりふを明瞭に言うための「母音法」を徹底的に教え込んだ。何を言っているか分からない舞台もよくあるが、四季の舞台では絶対にそういうことはない。だから、「もとしき」と言われる四季を退団した市村正親、鹿賀丈史、山口祐一郎、石丸幹二、保坂知寿、浜田めぐみらの俳優たちが重宝されるのも、当然のことだった。浅利さんは四季を退団した俳優たちについて「去る者は追わず」と冷たい一面もあったが、根は育ちのいい「演劇青年」だから、時とともに、わだかまりも解消した。亡くなった後の市村や鹿賀の涙が物語っている。

 営業や制作の社員にも厳しかった。激しい叱責の声を上げることもしばしばで、そのために辞めていく人たちも多かった。しかし、叱責し、しばらく仕事を干したとしても、個々の仕事への意欲を見極めて、必ず救いの手を差し伸べた。今の社長以下、四季の幹部はほとんどがそういう経験を経ている。浅利さんは強力なリーダーシップと包容力があった。薫陶を受けて、退団後も活躍する演劇関係者は数多い。劇団四季は人材の宝庫だった。

 中曽根康弘元首相のブレーンになるなど、政財界との人脈の広さから、毀誉褒貶(きよほうへん)が多かったが、それは演劇の裾野を広げるための手段でもあった。昔の演劇状況は東京に1極集中し、観劇する人も限られていた。そこで浅利さんは日生劇場で小学生を無料招待して子どもミュージカル公演を行い、北海道から沖縄まで全国各地を巡演した。それは大手企業の協賛があってこそ実現した。東京以外にも大阪、名古屋、札幌、福岡に専用劇場を建設し、高騰するチケット代も1万円内に抑える企業努力もしていた。

 私的なことだが、結婚が決まった時、2人で自宅に招待されて料理をごちそうになった。その後、浅利さんと会うと、「奥さんは元気か」と聞かれた。30年間もそのやりとりは続いた。しかし、今年4月の「李香蘭」を見に行った時、いつもの握手はしたものの、耳慣れた言葉はなかった。老いを初めて感じた瞬間だった。

 演劇記者になって40年、取材の中で寺山修司さん、つかこうへいさん、蜷川幸雄さん、浅利慶太さんは特別な存在だった(同世代の野田秀樹は除く)。つかさん、蜷川さんが亡くなった時、事前に悼む文章は頭の中で用意していた。病状が悪いと聞いていたからだ。しかし、浅利さんは100歳まで生きると思っていたから、準備はしていなかった。浅利さん最後の演出作「李香蘭」には、戦争で亡くなった兵士たちが登場する。映像で海辺に横たわる無数の若き兵士たちの姿や艦砲射撃の中で落下していく特攻機に、涙で顔がいつもぐちょぐちょになった。浅利さんの「こんな戦争は2度と起こしてはならない」というメッセージが込められている。亡くなった7月13日は、65回目となる劇団四季創立記念日7月14日の1日前。4年前に劇団を去ったけれど、20歳で旗揚げした劇団四季を最後まで愛していた。
【林尚之】



市村正親「偉大な演技のお父さん」浅利慶太さん悼む
日刊スポーツ [2018年7月18日21時57分]
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201807180000898.html

 浅利慶太さんの訃報を受けて18日、劇団四季出身の俳優市村正親(69)が都内の所属事務所で会見を行った。

 市村はミュージカル「モーツァルト!」大阪公演千秋楽を終えて、急いで帰京した。訃報は公演終了後に聞いたという。翌朝には次の舞台のためニューヨークへたつという、多忙を縫う絶妙なタイミングで入った訃報に、「『ニューヨークでしっかりやってこい』と言われているよう」と話した。

 最後に会ったのは2年前だった。自身の舞台の稽古場が、四季の稽古場と近かったため、時折様子をのぞきに行っていた。「すごい元気そうで、15分くらい話しました。『お前の芝居が見たいな』と。おととし会えていろんな話ができたのは、忘れがたいです」。

 劇団四季には約16年在籍した。浅利さんからもらった数々の言葉は、今でも覚えているという。「役者は女優の斜め後ろに立て」「役を必死に生きれば、役の仮面が透けて役者の顔が見えてくる」「演技は『ハスの上の水たまり』。常にキラキラしていて、同じ形は二度としない」「他人の時計をのぞくな」-。とりわけ、常に劇団で主演を張っていた鹿賀丈史(67)と脇が多かった市村の関係性を例えた言葉「ステーキの横のクレソン」は、自身のエッセーのタイトルにするほど印象深く残っている。「クレソンはステーキになくちゃいけないものなんだ、と。すしにわさびが必要なように、太陽があって月があるように。太陽じゃなくても月の演技をできればいいんだと思った」。真剣なまなざしで話した後、「最近は俺も、にんにくステーキくらいになったかな」と、市村らしくジョークもまじえた。

 浅利さんは市村にとって「偉大な演技のお父さん」だという。「0から教育してもらった。浅利さんの演技論がしっかりと入っているし、言ったことは全部覚えている。今度は僕が後輩たちにつなげていきます」と誓った。



鹿賀丈史涙、芸名は浅利氏から「非常に魅力的な方」
日刊スポーツ [2018年7月18日21時34分]
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201807180000857.html

 浅利慶太さんの訃報を受けて18日、劇団四季出身の俳優鹿賀丈史(67)が都内の所属事務所で会見を行った。

 鹿賀は72年に劇団四季入りし、翌73年に「イエス・キリスト=スーパースター」で主役として舞台デビュー。以後、退団までの約8年、劇団四季のトップスターとして活躍してきた。

 そんな鹿賀にとって浅利さんは、名付けの親であり育ての親だった。鹿賀という芸名は、金沢出身と聞いた浅利さんが付けたものだった。そのまま“加賀”ではなく、「鹿のように俊敏で澄んだ目をしていろ」との意味を込めて、“鹿”の文字を授けられた。「浅利先生がいなかったら僕はいない」と師に感謝し、「その言葉は忘れられないし、今もその気持ちは大事にしていきたいと思っています」と話した。

 劇団四季の稽古場には、常に怒号が響いていた。「バカヤロー、とかはしょっちゅう言われました。蹴飛ばしたりもされましたよ」。それでも、その裏にはしっかりと情があった。「厳しかったけれど、その奥に優しさやユーモアがあって、非常に魅力的な方だった。だからみんなついて行った。今芝居をしていても、『先生はこう言っていたな』と思い出します」という。

 訃報はこの日知った。最後に会ったのは00年、銀座の食事先でばったり遭遇した。当時「マクベス」の公演を控えていた鹿賀に、浅利さんは「できるのか?」と厳しい口調でハッパをかけてきた。数日後、届いた手紙には、「酒を飲んでいて、きついことを言ってごめん」と、謝罪の言葉がつづられていたという。「1から育てていただいて、気にかけていただいて。劇団を辞めてずいぶんたつのに見てくださっていたんだな、と、感謝の気持ちでいっぱいです」。気丈に話していた鹿賀の目から、堪えきれなくなった涙がこぼれた。

 浅利さんの功績を、「日本の演劇界を大きく変えた。ミュージカルを目指す人間を増やした。どこにいっても四季出身がいる」とたたえた。役者のみならず、優秀なスタッフを育てたのも浅利さんだった。「『長い間ご苦労さまでした』というのと、ここまでの人間たちを輩出したすばらしい力に『ありがとうございます』。四季で始まった役者人生ですから、先生の生きざまを見習って生きていきたい」。天国から見守る恩師に、これからも勇姿を見せつけていくと誓った。



小澤征爾氏「エネルギーに感服した」浅利さん悼む
日刊スポーツ [2018年7月19日8時23分 ]
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201807190000046.html

 指揮者の小澤征爾氏のコメント 全く残念です。僕が一緒に仕事をしていた頃は、浅利さんの素晴らしいエネルギーにいつも感服していました。オペラ「蝶々夫人」や長野五輪の開会式を一緒に作り上げたことはとても良い思い出です。




森英恵さん「日本にとって大きな力」浅利さん悼む
日刊スポーツ [2018年7月19日8時40分 ]
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201807190000045.html

 デザイナー森英恵さんのコメント ショックです。長い間、浅利さんの仕事を手伝ってきました。特に印象的なのはミラノ・スカラ座のオペラ「マダム・バタフライ」の衣装を担当したこと。オペラに対する浅利さんの厳しいけれど、一筋な姿勢が思い出されます。日本の純粋な美意識を地球規模で表現された。世代を超えて楽しめるミュージカルの上演を手がけ、演ずる人、見る人とともに日本文化を育てられた。日本にとって大きな力でした。私の仕事人生の中で特別なものです。


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テーマ:ミュージカル - ジャンル:学問・文化・芸術

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