2017年12月14日(木)
私の別のブログには書きましたが こちらにも紹介しておきます。
授賞式を紹介する西日本新聞12月12日付1面TOP 西日本新聞 - 2017年12月12日(火)

サーロー節子さんのスピーチ「核廃絶の始まりに」 西日本新聞 - 2017年12月12日(火)

サーロー節子さんのスピーチ「核廃絶の始まりに」 英語版・全文へのリンク 毎日新聞 - 2017年12月11日(月)
カズオ・イシグロさんのスピーチ 西日本新聞 - 2017年12月12日(火)

カズオ・イシグロさんのスピーチ 「ヘイワ」が世界共通の言葉になればいい 日本語版・全文へのリンク 毎日新聞 - 2017年12月11日 13時04分
授賞式を紹介する西日本新聞12月12日付1面TOP ノーベル賞演説 核保有国はこの声を聞け 西日本新聞 - 2017年12月12日(火) 10時36分 感動的なスピーチだった。しかし同時に、それに耳を傾けようともしない指導者たちがいることに暗然とした思いを抱く。
ノーベル平和賞の授賞式がノルウェーのオスロで開かれ、受賞した「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)とともに広島の被爆者サーロー節子さんが出席し、受賞演説を行った。
ICANは広島、長崎の被爆者と連携し、世界的に核兵器廃絶運動を展開してきた非政府組織(NGO)だ。今年7月、国連で核兵器禁止条約が採択されたことが大きな功績として評価された。
サーローさんは13歳で被爆し、結婚で移り住んだカナダを拠点に核兵器被害の恐ろしさを世界に訴えてきた。被爆者として初めて平和賞授賞式の演説に臨んだ。
「最初に目に浮かぶのは4歳だったおいの姿です。小さな体は溶けて肉の塊に変わり、見分けがつかないほどでした。弱々しい声で水が欲しいと言い続けました」
「核兵器の開発は、国家が偉大さの高みにのぼることを意味しません。むしろ、この上なく暗い邪悪の深みに転落することを意味するのです。核兵器は必要悪ではありません。絶対悪なのです」
一言一句胸に刻みたい演説だ。
ところが核抑止にこだわる核保有五大国はICANが推進した核兵器禁止条約に強く反発しており、現地大使の授賞式出席を事実上ボイコットした国もある。「聞く耳持たぬ」と言わんばかりだ。
北朝鮮の核開発で安全保障情勢が厳しさを増す中、「核の傘」に依存する日本政府も米国に同調し条約不参加を明言している。「現実無視の理想論」と、条約の影響力を軽視する声も小さくない。
サーローさんは核兵器禁止条約を「光」に例え、こう続けた。
「世界中の皆さんに、広島の倒壊した建物の中で私が耳にした言葉を繰り返します。『諦めるな。頑張れ。光が見えるか。それに向かって這(は)っていくんだ』」
核保有国の政府に問いたい。この究極の祈りに耳をふさぐことが、果たして許されるのか。
=2017/12/12付 西日本新聞朝刊=
サーロー節子さん演説 「核兵器は絶対悪・核廃絶の始まりに」要旨 毎日新聞 - 2017年12月11日 10時58分 サーロー節子さんが10日、ノーベル平和賞授賞式のオスロで行った演説の要旨は次の通り。
・核兵器は必要悪でない。絶対悪だ。
・核兵器禁止条約を核兵器の終わりの始まりにしよう。
・条約は光だ。この光を分かち合おう。
・光は、かけがえのない世界を存続させるために私たちが傾ける情熱であり、誓いだ。
・米国が原爆を私が住んでいた広島に投下した時、まだ13歳だった。
・私の愛する都市は1発の爆弾で消滅した。
・住民らは燃やされ、炭になった。その中には私の家族と351人の級友が含まれている。
・4歳のおいの小さな体は溶けて肉の塊に変わった。
・広島と長崎で死を遂げた二十数万の魂を身の回りに感じてほしい。
・皆さんに、広島の倒壊した建物の中で耳にした言葉を繰り返す。「諦めるな。頑張れ。光が見えるか。それに向かってはっていくんだ」
・核武装した国々の当局者と、いわゆる「核の傘」の下にいる共犯者たちは、私たちの証言を聞け。警告を心に刻め。
・世界中の国は条約に参加し、核の脅威を永久になくしてほしい。
【略歴】サーロー節子さん
1932年広島市生まれ。トロント大大学院修了。13歳のとき広島で被爆し、姉やおいを失う。55年にカナダ人と結婚し、同国に移住して核廃絶運動に尽力。これまで国連総会の委員会など世界中で開かれる国際会議で、被爆証言を重ねてきた。カナダ政府が民間人に贈る最高位勲章オーダー・オブ・カナダを受章した。(共同)
カズオ・イシグロさんのスピーチ イシグロ氏、文学の力で壁を壊す ノーベル賞、記念講演 西日本新聞 - 2017年12月08日02時08分 【ストックホルム共同】今年のノーベル文学賞を受賞する英国人作家カズオ・イシグロ氏(63)が7日(日本時間8日未明)、スウェーデンのストックホルムで記念講演を行った。「分断が危険なほどに増えていく時代に、良い作品を書き、読むことで壁は打ち壊される」と述べ、閉塞感に覆われた世界で文学者が担う使命の重要性を説いた。
イシグロ氏は日本人の両親の間に長崎市に生まれ、5歳の時に渡英。講演では自らの生い立ちや、記憶の中で薄れゆく日本と向き合った創作活動の原点を紹介、小説の中で「私にとっての日本」を築き直そうとの思いだったと述べた。
カズオ・イシグロさんのスピーチ (全文) 「ヘイワ」が世界共通の言葉になればいい 毎日新聞 - 2017年12月11日 13時04分 【ストックホルム鶴谷真】2017年のノーベル文学賞を受賞した日系英国人作家、カズオ・イシグロさんが10日夜(日本時間11日早朝)、ストックホルム市庁舎での記念晩さん会で行ったスピーチ全文は以下の通り。
◇
陛下、殿下、そして紳士淑女の皆様。
大きな外国人の顔、西欧の男の人の顔が、私の本の1ページを埋めるようにカラーで描かれていたのを、鮮明に記憶しています。堂々とした顔の後ろの一方に見えたのは、爆発による煙とほこりでした。もう一方に描かれていたのは煙の中から空へと昇っていく白い鳥でした。私は5歳で、伝統的な日本の家の畳の部屋で腹ばいになっていました。この瞬間が印象に残ったのは、私の後ろの方で、ダイナマイトを発明した人が、その使われ方を心配して(日本語で)「のーべるしょう」を作ったと話す母の声に特別な感情がこもっていたからです。「のーべるしょう」という言葉を日本語で聞いたのは、これが初めてでした。「のーべるしょう」はね、と母は言いました。(同)「へいわ」を促進するためにあるのよ、と。「へいわ」はピースやハーモニーという意味の日本語です。私の街、長崎が原爆によって壊滅的な被害を受けてから14年しかたっておらず、まだ年端もいかない私でも、平和とは何か大切なものであること、それがなければ恐ろしいものがこの世界を襲うかもしれないことを分かっていました。
ノーベル賞は他の偉大な賞と同じく、小さな子どもでも分かるようなシンプルなもので、それがきっとこれまで長く世界の人々の想像力をかき立て続けてきた理由でしょう。自分の国の人がノーベル賞を受賞したことで感じる誇りは、オリンピックで自国の選手がメダルを勝ち取ったのを見て感じるものとは違います。自分の部族がほかの部族より優れていることを示したからといって、誇りをもったりはしません。むしろ、自分たちのうちの一人が人類共通の努力に著しい貢献をしたことを知って得られる誇りです。わき上がる感情はずっと大きく、人々を融合させてくれるものです。
私たちは今日、部族間の憎しみがますます大きくなり、共同体が分裂して集団が敵対する時代に生きています。私の分野である文学と同じく、ノーベル賞は、こうした時代にあって、私たちが自分たちを分断している壁を越えてものを考えられるよう助けてくれ、人間として共に闘わねばならないことは何かを思い出させてくれる賞です。世界中で母親たちがいつも子どもを鼓舞し希望を与えてきたような、母親が小さな子どもに言って聞かせるようなものです。このような栄誉を与えられて、私はうれしいと思っているでしょうか? ええ、思っています。私は受賞の知らせを受けて直感的に、「のーべるしょう」と声に出し、その直後に、いま91歳の母親に電話しました。私は長崎にいた時、既に多少なりとも賞の意味を理解しており、今も理解していると思っています。ここに立って、その歴史の一部になることを許されたことに感動しております。ありがとうございます。
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