観劇レビュー&旅行記
【観劇レビュー&旅行記】を中心にFC2上で、私も思いを気の向くままに書いてゆきます。 政治・時事評論は 【JUNSKY blog 2016】 に引続き運用します。リンクの一番上に記載しています。


プロフィール

junsky07

Author:junsky07 私の旅行記や、オペラ・バレエ・ミュージカル・演劇等の観劇の感想などを気の向くままに書いてゆきます。



カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -



現在日本時間



ブログ・ランキング

ブログランキング・にほんブログ村へ



FC2ブログランキング



最近の記事



FC2カウンター



ブログ内検索



アクセス・ランキング

にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ



アクセス・ランキング

にほんブログ村 演劇ブログ 演劇(観劇)へ



アクセス・ランキング

にほんブログ村 旅行ブログ ヨーロッパ旅行へ



カテゴリー



アクセス・ランキング

音楽ブログ

ランキング



最近のコメント



FC2ブログランキング

御訪問頂きありがとうございます

FC2ブログランキング

よろしければクリック御願いします



最近のトラックバック



リンク



天気予報


-天気予報コム- -FC2-



降水予報



FC2ブックマークに追加する

FC2ブックマークに追加



QRコード

QRコード



RSSフィード



月別アーカイブ



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



全ての記事を表示する

全ての記事を表示する



「道雪会」発足記念歴史講演会
2017年9月10日(日)

福岡県新宮町の歴史的英雄である立花道雪と宗茂の足跡を
讃える講演会

【「道雪会」発足記念歴史講演会】

がシーオーレ新宮で開催されました。

主催者の挨拶の後、立花家17代当主である立花寛茂さんより御挨拶。

この会は、NHK大河ドラマに取り上げてもらう運動の一つのようです。

柳川市長よりメッセージが代読されました。

20170910112344021.jpg
会場一杯で補助席や立ち見も出る大盛況です!

2017091011234508b.jpg


柳川市で研究を進める 立花家史料館 館長 植野かおりさんが講演されました。

ETVでの【知恵泉】や 民放の特集に出演されています。

201709101658095ba.jpg


【立花山城主、道雪そして宗茂と誾千代の物語】

様々な取材が広がってきており、大河ドラマに向けて毎日のように
問い合わさや取材がある。

戦国時代のドラマや映画はあるが、九州戦国はあまり取り上げられない。

大友(豊後)、島津(薩摩)、龍蔵寺(肥前)の三勢力が鎬を削っていた。
そこに毛利までが入ってくる。

大友宗麟が覇権を振るっていたが島津との戦いに敗れた後、
多くの配下が離反。
その中で最後まで支えたのが別次道雪だった。

島津に押し込まれた中で新宮地域だけが残った。

大友氏を裏切った元の領主立花家を打ち滅ぼして立花山に入った。

別次道雪は、立花の名を名乗りたかったが、大友が許さなかった。

なので初代は別次道雪となっている。

道雪には男子の継承者が居なかったので、娘の誾千代を後継者とした。
その時、誾千代は7歳。

道雪は苦労人である。

【女城主・誾千代 誕生】

誾千代は7歳にして城主になったが、実権は道雪が握っていた。

婿養子を迎えることにして宗茂(当時、吉弘千熊丸)を迎えた。

宗茂15歳、誾千代13際にして婚姻を結んだ。
元服とほぼ同時に婿養子になった。

長男を養子に出すと言うのは当時珍しかった。

本社(大友氏)が、いつ潰れるか解らない状態だったので、
支店二社が、強い同盟を築いた。

結婚した翌年に立花氏を名乗った。
おそらく、大友氏から立花を名乗ることを許可されたのだろう。

道雪は、間も無く陣中で死す。

宗茂は、未だ十代であった。

岩屋城の戦いで島津に敗北。

十数万と言われる島津に対して七百余の兵力で戦った。

秀吉の援軍到着の知らせを受けえって島津は撤兵。
立花氏はこれを追撃し、幾つもの城を取り返した。

自らの力で柳川を抑え、秀吉の公認(朱印状が残る)を得た。

何度も名前を変えたが、宗茂と名乗ったのは、関ヶ原の後。
その後は、宗茂の名前を続け、死後も継承した。

関ヶ原では、西軍に着いた。
九州の大名は殆どが東軍着いた。

宗茂は、西軍が勝つと確信していた。

敗北後は、加藤清正の援助を受けて命脈を保った。
家臣も手弁当で付いてきた。

そう言う噂が幕府にも伝わり、奥州棚倉に一万石の領地を与えられた。
正式の徳川幕府の大名に連なった。

柳川には、田中家が入った。
田中家には跡取りが出来なかったことから、柳川に戻ってきた。
1520年に奇跡の復活。54歳。
石高は11万石。従四位の下(将軍にお目見えできるレベル)
改易、転封もなく、明治時代も伯爵家となり、現在に続く!

復活の大名 として、大河ドラマにも売り込み。

72歳で、島原の乱に出兵した。
その頃には、戦国時代を知っている人は少なかった。

苦労しても人を裏切ることなく実直に生きた方が
最後はハッピーエンドだったことも大河ドラマに相応しいので!






関連記事

テーマ:福岡 - ジャンル:地域情報

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック