観劇レビュー&旅行記
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歌謡曲作曲家 平尾昌晃さん御逝去
2017年7月23日(日)

主として歌謡曲分野で作曲活動を行って来た 歌手でもあった
作曲家・平尾昌晃さんが亡くなったとのこと。

私には直接の接点は無いが、
私が最初に買った歌謡曲のシングルレコードが
小柳ルミ子さんの 【私の城下町】であり、ちょうどその年に
大阪から福岡に出て来たばかりの大学1年生だった時のこと。

城下町は、当に黒田五十五万石の福岡にリンクした!

レコードを買ってから、その曲を作曲したのが、平尾昌晃さん
であることを知ったことが、接点となる!

確か、1971年のことだったと思う。

【関連記事】

‪訃報:平尾昌晃さん79歳‬
‪=作曲家 ‪「瀬戸の花嫁」 ‬

‪ 毎日新聞 ー 2017年7月22日
‬ 

訃報 平尾昌晃さん79歳=作曲家 「瀬戸の花嫁」
毎日新聞2017年7月22日 21時59分(最終更新 7月22日 23時30分)

「瀬戸の花嫁」「よこはま・たそがれ」など作曲家として多数のヒット曲を生み出し、歌手としても活躍した平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日、肺炎のため死去した。79歳。
葬儀は近親者で営む。後日お別れの会を開く予定。

 東京都出身。慶応高校中退後、1958年に歌手デビュー。ミッキー・カーチスさん、山下敬二郎さんと共に当時流行したロカビリーを歌い上げる“ロカビリー三人男”と呼ばれ人気を博した。「星はなんでも知っている」「ミヨちゃん」などの曲がヒットした。

 60年代以降は作曲家として活躍。小柳ルミ子さんの歌う「瀬戸の花嫁」が72年に日本歌謡大賞を、五木ひろしさんの歌う「夜空」が73年に日本レコード大賞をそれぞれ受賞した。このほか「わたしの城下町」「霧の摩周湖」なども作曲した。自らの作曲で畑中葉子さんと歌った「カナダからの手紙」も人気を集めた。

 2003年に紫綬褒章受章。NHK紅白歌合戦の「蛍の光」合唱での指揮者やテレビのバラエティー番組出演など、お茶の間でもおなじみの顔だった。




昭和のヒットメーカー平尾昌晃さん急死 79歳肺炎
日刊スポーツ ー 2017年7月23日(日)7時47分
 

「瀬戸の花嫁」「よこはま・たそがれ」「カナダからの手紙」などのヒット曲で知られる作曲家で、歌手としても活躍した平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺炎のため、都内の病院で死去した。79歳だった。ロカビリー歌手として社会現象を起こし、作曲家に転身後も多くのヒット曲を世に送り出した。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。

 平尾さんはもともと肺に疾患があり、15年1月に肺炎のため、約3週間入院したこともあった。所属事務所によると、今月13日に体調を崩し、都内のかかりつけの医師がいる病院に外来で訪れた。その後、暑い日が続いたこともあり、数日後に体調を悪化させてしまい入院し、たんの吸引などをしていた。入院中も仕事に対して前向きだったが、21日に容体が急変。家族やスタッフらに見守られて亡くなった。

 小学校時代から、ラジオで英語の歌詞を覚えるほど熱心に洋楽を聴いた。高校時代はできたばかりの日本ジャズ学校に通い、進駐軍キャンプやジャズ喫茶で腕を磨いた。ウエスタンバンドを組んだが、エルビス・プレスリーの音楽に衝撃を受け、ドラムを取り入れてロックバンドに仕立てた。58年に歌手デビュー。第1回日劇ウエスタンカーニバルに参加。ミッキー・カーチス、山下敬二郎さんとロカビリー旋風を巻き起こし、「和製プレスリー」と呼ばれ、ロカビリーブームの立役者になった。

 60年代半ばから作曲家に転身した。以前から肺を患っており、当時、医師から「3年間は肺を使ってはいけない。歌わないように」と告げられ、歌手活動は断念した。結核で倒れ、信州で療養生活を送ったこともあった。66年に作曲した布施明「霧の摩周湖」や67年の梓みちよ「渚のセニョリーナ」の両曲で日本レコード大賞作曲賞を受賞した。その後も「よこはま・たそがれ」「わたしの城下町」など提供曲が次々と大ヒットした。日ごろから「洋楽、邦楽、民謡、童謡など何でも好き。楽しいものは何でも取り入れちゃう」と話していたように、ポップスから演歌まで幅広く曲提供した。テレビ時代劇「必殺」シリーズの音楽や、アニメ「銀河鉄道999」の主題歌なども手掛け、ヒットメーカーとして一時代を築いた。

 74年に平尾昌晃歌謡教室(現平尾昌晃ミュージックスクール)を開校。狩人、松田聖子、中村あゆみ、森口博子らを育てた。78年にはスクール出身の畑中葉子とデュエットした「カナダからの手紙」がヒットした。03年には紫綬褒章を受章。06年から宮川泰さんの後を受けてNHK紅白歌合戦のフィナーレ「蛍の光」の指揮も務めた。

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テーマ:訃報 - ジャンル:ニュース

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