2016年5月25日(水)
久しぶりに熊本城の話ですが、ニュースソースは、ひと月前のものです。
西日本新聞の 記事によると、 熊本城は城作りの名手として知られる戦国武将、加藤清正(1562~1611)が7年間かけて1607年に完成したとされる。 天守閣は西南戦争(1877年)時に全焼。 1960年に鉄筋コンクリート造りで再建した。 国指定の重要文化財が13施設あり、中でも「宇土櫓(うとやぐら)」は、西南戦争や1889年の熊本地震、先の大戦でも被害を免れ、今回の地震後も建立当時の姿をほぼ残す。 とのこと。
その400年以上の歴史に耐えてきた「宇土櫓」の損傷が比較的少なかった ということは、先人の叡智が地震にも戦災にも耐えるものであったということか!
熊本城修復、いばらの道 期間10年超、費用最大200億円か 西日本新聞 - 2016年04月25日13時25分
 石垣が崩落し、床面がむき出しになった熊本城の飯田丸五階櫓 (画像は 西日本新聞 より 以下同様)
『算木積み』と云う長辺を交互に積む積み方で コーナーの石垣が辛うじて残って櫓を支えているのが 健気な中で痛々しい! その後、今日までの「ひと月」で如何なったんだろうか?
 大きく崩落した熊本城の石垣
現状では、お城の復興には手が付かず、被災者に対処するのが精一杯の様子。 それは、当然の事であり、致し方ない。
ただ、建物の修復は長丁場だとしても、収蔵している文化財は、 近隣の博物館や美術館などの文化施設に大至急避難させる必要がある。
天守閣や櫓などのお城の建物の復興も性急な対応をするのではなく じっくりと取り組んで、今後500年間は維持できる程度のものにすべきだろう。
そのためには、建設当時の宮大工・城大工・穴太衆などの智慧を受け継ぎ 木造での再建と云う方法もある。
 比較的被害が少なかった国指定重要文化財の宇土櫓(中央)
今も『健全な』名古屋城を木造で再建しようとする名古屋市長の考えには 反対だが、既に大規模に破壊された熊本城天守閣の再建は木造でも良い と私は思う。
下記の桃崎 祐輔・福岡大人文学部教授の意見の受け売りではないが、 この意見は傾聴に値すると思う。
【意見】安易な修復より、築城当初に復元を 桃崎祐輔氏 西日本新聞 - 2016年04月29日 13時01分
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熊本城修復、いばらの道 期間10年超、費用最大200億円か 西日本新聞 - 2016年04月25日13時25分 城作りの名手として知られる戦国武将、加藤清正(1562~1611)が築城した熊本市の熊本城。熊本県民の精神的な支えとなってきた城は、熊本地震によって、天守閣は損傷し、「武者返し」と呼ばれる曲線美を持つ石垣も崩壊、復旧には10年以上の歳月が必要とみられている。県民は損壊を嘆く一方、「修復を進め、復興のシンボルになってほしい」と願っている。
熊本城は7年間かけて1607年に完成したとされる。天守閣は西南戦争(1877年)時に全焼。1960年に鉄筋コンクリート造りで再建した。国指定の重要文化財が13施設あり、中でも「宇土櫓(うとやぐら)」は、西南戦争や1889年の熊本地震、先の大戦でも被害を免れ、今回の地震後も建立当時の姿をほぼ残す。
熊本市熊本城総合事務所によると、今回の地震ですべての重要文化財に何らかの被害があった。長塀(ながべい)(全長242メートル)は約100メートルにわたって倒れ、東十八間櫓(ひがしじゅうはちけんやぐら)や五間櫓(ごけんやぐら)、不開門(あかずのもん)などが倒壊。宇土櫓も本体部分は大きな損傷がなかったが、続櫓(つづきやぐら)が倒壊した。石垣の崩壊は20カ所以上で確認された。
22日に現地を視察した文化庁の担当者が、「過去最大規模の修理になる」と分析した甚大な損壊をどう修復するのか。城に詳しい佐賀大の宮武正登教授(城郭史)によると、重要文化財の指定を維持するためには、元の柱などの再利用が必要。崩れた建物から使える材料を選定し、造り直す作業になるとみられる。宮武教授は「地盤や建物の構造など壊れた原因を調査しないと、同じ被害を繰り返す」と指摘する。
さらに大変なのは石垣だ。熊本城の石垣は、安土城などの建築にも携わった近畿の石工集団「穴太衆(あのうしゅう)」が築いた。裾の傾斜は緩やかで上部で強く反る「武者返し」には高い技術力が必要で、穴太衆の子孫で第15代石匠の粟田純徳さん(大津市)は「この反りを出すには以前とまったく同じように石を積まなければならない。崩れて石が割れたりしている状況では相当難しいと思う」と話す。
広島大の三浦正幸教授(城郭史)は、修復には10年以上、修復費は天守閣を含めれば200億円以上、天守閣を除いても20億~30億円かかるとみる。日本財団がすでに30億円を寄付する方針を表明するなど修復へ向けた動きが出始めている。
大西一史熊本市長は、23日に市内で安倍晋三首相との会談時に「熊本城を修理していくことが、県民が元気になる源になる」と修復の重要性を強調した。
=2016/04/25付 西日本新聞夕刊=
【意見】安易な修復より、築城当初に復元を 桃崎祐輔氏 西日本新聞 - 2016年04月29日 13時01分 ◆地震被害の熊本城 熊本地震によって、熊本城大天守の鯱(しゃちほこ)や瓦が落下し、築城当時から残る東竹の丸の櫓(やぐら)群、塀、石垣が壊滅的な被害を受けた。熊本県内の文化財被害の全容は調査中だ。今後、文化財行政に何が求められるのか、どんな対策が必要なのか。
まずは人員の確保だ。避難所や援助物資の対応が落ち着き次第、文化財の被害調査と復興計画を担う公務員は本来の部署に戻し、復興体制を構築してほしい。
被災建物からの文化財の避難は緊急課題だ。福岡の各博物館で、一時保管受け入れの準備が進められている。熊本城に関連するものをはじめ、県内で被災した文化財を急ぎ集め、疎開をかねて巡回展を実施し、被害を周知し、収益を復興財源に加えるという手もある。
熊本城が頼みの観光業界からすれば、「一日も早い修復」が、安全を重視する行政管理の立場からは、「大地震に耐えうる耐震構造」が、財政的には、「できるだけ予算を圧縮して」が合言葉になるに違いない。しかし各部署の都合ばかり押し通せば、復元した熊本城全体が鉄筋コンクリートのハリボテのようになり、学術・文化的価値のみならず、観光価値まで消えてしまう恐れがある。
大原則は安易な修復はやめ、築城当初に近い熊本城に戻すことだと考える。1960年再建の大天守閣、2005年再建の飯田丸五階櫓は現代工法だが、17世紀の遺構である北十八間櫓、東十八間櫓、五間櫓、長塀、不開門などは、崩落した建築材の回収・保存処理と調査研究、可能な限りの再利用を行う。解体して伝統工法で一から積み直すことも求められる。そのためには、修理に数十年の月日と数十億円以上の資金が必要になるだろう。
例えば「熊本城復元財団」を設立し、その中枢を担う施設をつくるのはどうだろうか。場所は熊本城総合事務所に近く、熊本博物館や県立美術館と連携できる二の丸あたり。将来撤去可能な仮設の建物で、保存科学や建築学、土木などの専門家や、東北大震災の復興支援経験者が集う。ノウハウを学ぶ専門学校のような機能を持たせ、有給で熊本城復元を担う人材を育成する。3次元計測技術と3Dプリンタを駆使し、熊本城本丸の主要部分を破損状況も含めて縮小模型で忠実に再現し、立体的な復元計画を立案する。
歴史的建造物の解体修理は、足場などの覆いでその様子が見えないのが普通だが、熊本城では安全な通路を設営できる区画に限って、修復の過程を公開し、観光資源とするしたたかさも必要だ。将来、修復に関わった人々が「あの熊本城再建の修羅場をくぐり抜けてきた」語り部となり、復興なった熊本城を見上げる日が来ることを願う。
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桃崎 祐輔(ももさき・ゆうすけ)福岡大人文学部教授 1967年、福岡市生まれ。筑波大学大学院歴史・人類学研究科博士課程修了。専門は考古学。主に騎馬文化と馬具研究に取り組む。
=2016/04/29付 西日本新聞朝刊=
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