シェークスピア作品やギリシャ悲劇から現代劇まで幅広い作品を手掛け、国際的に活躍した演出家で文化勲章受章者の蜷川幸雄(にながわ・ゆきお)さんが12日午後1時25分、肺炎による多臓器不全のため死去した。80歳だった。埼玉県出身。葬儀は16日正午から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。喪主は妻宏子(ひろこ)さん。
〔写真特集〕世界のNINAGAWA 蜷川幸雄さん
開成高校(東京)卒業後、1955年に劇団青俳に俳優として入団。68年に蟹江敬三さん、石橋蓮司さんらと「現代人劇場」を旗揚げし、翌年「真情あふるる軽薄さ」(清水邦夫作)で演出家デビューした。学生運動が盛んな時代状況を映した舞台が若者の支持を得て、アングラ演劇の旗手に。72年「桜社」を結成したが、東宝の「ロミオとジュリエット」の演出を行ったことが劇団員の反発を買い、74年に解散。以後、活動の場を商業演劇に移した。
「王女メディア」「ハムレット」「NINAGAWAマクベス」「近松心中物語」など古今東西の作品に次々に取り組み、視覚に訴えるダイナミックな演出で評価を確立。83年に「王女メディア」をイタリアとギリシャで上演して以来、毎年のように海外でも公演を行い、「世界のニナガワ」と呼ばれた。
99年、東京・渋谷のシアターコクーンの芸術監督に就任。オペラや映画などにも進出し、2005年には「NINAGAWA十二夜」で歌舞伎も演出した。
イスラエル・テルアビブで上演された演出作「トロイアの女たち」のカーテンコールに登場した蜷川幸雄さん(右から4人目)=2012年12月29日
06年から芸術監督を務めるさいたま市の彩の国さいたま芸術劇場では、シェークスピアの全作品上演に取り組む一方で、高齢者演劇集団「さいたまゴールド・シアター」、無名の若手による「さいたまネクスト・シアター」を主宰し、俳優の育成に努めた。
昨年12月中旬に体調を崩して入院。今年2月に自身の半生を題材とした舞台「蜷の綿」を演出予定だったが、回復せず公演を延期していた。
04年文化功労者、10年文化勲章。著書に「千のナイフ、千の目」「演出術」など。
(時事通信 : 2016/05/12-19:08)