観劇レビュー&旅行記
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三代目 桂 春団治 さん お亡くなりに…
2016年1月15日(金)

 女性を演じると垂涎の演技だった 三代目 桂 春団治 さん お亡くなりに
なったと云うニュースを先日聞きました。

 申し訳なく思いますが、だいぶん前に鬼籍に入られていたと思っていました。

 何十年も前に、大阪の『島ノ内寄席』で、『立ち消え線香』を聴いたのを思い出します。

 今日の日刊スポーツ の大きな記事になっていました。




上方落語最後の大看板3代目桂春団治さん死去 85歳
 日刊スポーツ - 2016年1月14日10時36分


【関連記事】

桂米団治が桂春団治さん悼む「心にぽっかり穴が」
 日刊スポーツ - 2016年1月14日14時24分


桂春団治さん一門福団治、一番の教えは「長幼の序」
 日刊スポーツ - 2016年1月14日22時54分


桂文枝「まだ整理がつかない」桂春団治さん悼む
 日刊スポーツ - 2016年1月15日0時0分





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上方落語最後の大看板3代目桂春団治さん死去 85歳
 日刊スポーツ - 2016年1月14日10時36分
 

戦後の上方落語復興に尽力し「上方四天王」に数えられた3代目桂春団治(本名・河合一=かわい・はじめ)さんが9日午前0時11分、心不全のため亡くなっていたことが14日未明、分かった。85歳だった。11日に親族や一門で密葬が行われた。

 歌や芝居で表現される破天荒なキャラクターの初代、実父の2代目とは違い、繊細で華麗な語り口、色気あふれる高座で魅了してきた。四天王のうち、6代目笑福亭松鶴さん、5代目桂文枝さんに続き、昨年3月には人間国宝だった桂米朝さん(享年89)が亡くなっており、上方最後の大看板だった。

 一門関係者によると、夫人や家族が見守る中、息を引き取ったという。体調は「内臓全般が段々、弱ってきていた」と明かした。

 また、弟子の桂春之輔(67)は、最後に会ったのが昨年末だったといい、今春の大阪府池田市で予定している毎年恒例の「春団治まつり」のチラシ見本を見せに行ったときだった。

 「福団治以下“日本団治”をコンセプトにプログラム作って、これでよろしいか、言うと、はっきりと声には出しませんでしたが、何度もうなづいてくれた」

 春団治さんは、ここ2~3年、入退院を繰り返し、昨年3月、米朝さんの葬儀には出席したものの、以後も体調が優れなかった。最近は会話も困難になっていた。今春の春団治まつりは、追善興行になる。

 春団治さんは13年8月半ばに大阪市内の自宅で転倒し、足の爪がはがれて正座ができなくなったことから入院。転倒した際に頭も打っていたため、精密検査も行い、大事をとって入院加療を続けていた。

 ところが、入院先の病院でも、担当看護師の仕事量を気づかい、1人でトイレに行った際に、再び転倒。その影響で肋骨に複数箇所、ひびが入り、一部箇所は骨折。コルセットを着用し、足の筋力を回復させるリハビリに努めるなどし、13年9月には退院したものの、秋以降もなかなか高座復帰の見込みは立たなかった。

 13年11月3日に出演予定だった「桂文之助襲名披露公演」(京都・南座)も休演。当時、松竹芸能を通じて、春団治さんは「襲名というめでたい席に万全ではない状態で出演できない」とコメントしていた。

 13年末には、一門や所属事務所が、新装された松竹芸能の劇場、角座の14年正月興行で復帰させようと動いたが、回復が思わしくなく先送り。14年3月8日の「6代桂文枝襲名興行千秋楽」の口上もキャンセル。弟子の桂春之輔によると、復帰メドが立たない中、春団治さん自身の気力も衰えが見えてきていたという。

 14年2月24日には、大阪市内で、弟子の故桂春駒さんをしのぶ会に出席し、あいさつも行った。ただ、完全復活とはいかず「今やこうして立っているのが関の山。足が痛い、腰が痛いで、正座もできません」「自分の体が思うようにいかない(動かない)」などと、本音を吐露しつつ、近況を報告していた。

 弱気になりがちな師匠を励まそうと、一門は、14年4月26~27日に池田市で予定されていた「春団治まつり」での復帰を計画したが、元来が、完璧主義者の春団治さんだっただけに、「みっともない格好では出れん」と言い、出演を見送った。

 春団治さんは、米朝さんらとともに、戦後の上方落語を復興させた功労者だった一方で、持ちネタの少なさで知られた。何度もけいこを繰り返しても、自分で満足できないと、高座にかけるのを見送ることもあった。

 2代目からは「風呂敷丁稚」「祝のし」などを教えられ、ほかの師匠連から「子ほめ」「お玉牛」「野崎詣り」「いかけ屋」「高尾」を、また、米朝さんからも「代書屋」「皿屋敷」「親子茶屋」「色事根問」「始末の極意」をけいこしてもらっており、これらを持ちネタとしていた。

 完璧主義としても知られた春団治さんだけに、不完全な状態で高座に上がることは固辞。高座から遠ざかり、徐々に気力が衰えていった。 



【関連記事】

桂米団治が桂春団治さん悼む「心にぽっかり穴が」
 日刊スポーツ - 2016年1月14日14時24分
 

 今月9日に心不全のため亡くなっていた3代目桂春団治さん(享年85)とともに、戦後の上方落語復興に尽力した故桂米朝さん(享年89)の長男、桂米団治(57)は14日午後、所属事務所を通じて「ひとつの時代が終わってしまった」「心にぽっかり穴があいた」とコメントした。

 春団治さんは、米朝さんや、故6代目笑福亭松鶴さん、故5代目桂文枝さんとともに戦後の上方落語復興に尽力し、「上方四天王」と呼ばれた。松鶴さん、文枝さんはすでに亡く、昨年3月に米朝さんも他界したことから、春団治さんが最後の上方大看板だった。

 亡き父とともに上方発展に貢献した春団治さんを思い、米団治は「米朝が他界した翌年に、春団治師匠が亡くなり、ひとつの時代が終わってしまったんだなって。心にぽっかり穴があいています」と語った。

 米団治は自らも実父のもとへ弟子入りしており、春団治さんも先代2代目の実子だった。若き日には、父と同じ道へ進む苦悩を春団治さんから諭されたこともあり「はなし家の家に生まれ、後を行くということへの思いを、ことあるごとに教えていただきました」と振り返った。

 四天王のうちでも、博識だった米朝さんはリーダー格で、春団治さんからは、父米朝さんいついて「君のお父さんには、若い時からお世話になったんだよ」とよく言われたといい、「高尾」「野崎詣り」のけいこもつけてもらった。

 「僕の(小米朝から米団治へ)襲名の時には、舞台に花を添えて下さいました。誰もまねのできない、本当にきれいな高座でした」と偉大な先輩をしのんだ。

 米朝一門から、ほかのコメントは以下の通り

   ◆  ◆  ◆

 一門筆頭の桂ざこば(68) (滞在先の)海外で春団治師匠の訃報を聞き、ショックでとても残念です。おちょこの似合うすてきなお師匠はんでした。昨年の夏、ご自宅にうかがった時も一緒にお酒を飲んでくれました。以前に「私は、お酒は酔うために飲んでますねんけど、お酒ってそないうまいでっか?」と尋ねたら「そらうまいがな」と、とてもいいお顔をなさっておっしゃいましたことを覚えています。

 落語に対する考え方も、私のすごく大好きな方で、ネタは「お玉牛」と「月並丁稚」をつけて頂きました。心からご冥福をお祈りします。

  ◆  ◆  ◆

 米朝さんの孫弟子、桂南光(64) お稽古も、きっちり細かくしてくださり、一緒に飲みにも連れて行っていただきましたが、いつでも、どこでも春団治師匠の端正な風格が変わらず、本当にすてきな師匠でした。 



桂春団治さん一門福団治、一番の教えは「長幼の序」
 日刊スポーツ - 2016年1月14日22時54分
 

 戦後の上方落語を復興させた四天王の1人で、最後の大看板だった3代目桂春団治さん(享年85)が今月9日に亡くなったことを受け、14日夜、大阪・道頓堀の角座で、一門筆頭の桂福団治(75)春之輔(67)ら弟子が会見した。

 春団治さんが20代のころ、入門した福団治は「師匠が言うなら『黒も白』の封建時代、私生活でも古いしきたりを大事にし、額縁の中から絶対にはみ出さない人でした」と振り返った。

 春団治さんは、ネタに入る前に枕を振らず、涼やかに高座へ現れ羽織を脱ぎ、ネタを始める一連の動作は流れるようだった。繊細で華麗な語り口でファンを魅了し、数カ月に及ぶけいこを重ねても「自分に合わない」と思えば、決してそのネタを高座にかけることのない頑固さでも知られた。独自の美学を貫いた師匠から若き日、徹底して仕込まれた福団治は、一番の教えを「長幼の序」だと語った。

 「目上の人を敬う心、下の者に優しくする心。芸は人が出る」。春団治さんから徹底して教えられた精神論だった。

 また、春之輔は「落語が好きというより、春団治のファンで」弟子入り。高校2年から師匠のもとへ通った。「師匠の芸は誰にもまねできへん」と話す。

 春団治さんが得意とした「お玉牛」では、男が夜ばいをする場面があり、牛の尻尾に見立てた扇子をクルッと回し、額を打つ所作があり、春之輔はこれを「師匠にしか出せへん色気がある。しかしまあ、あんな男前に夜ばいに来られたら女性も受け入れまっせ」。春団治さんが高座から放つ独特の色気に、いまだほれているという。

 実際、春団治さんは、二枚目で知られ、おしゃれにも気を使った。晩年も、自宅近くを散歩に出るだけでも、装いにこだわり、私生活でも洒脱(しゃだつ)を意識していた。一方で、性格はシャイ。マスコミ取材も嫌い、テレビ出演もほぼなかった。

 弟子の桂春若(64)は「1度だけ、落語以外で師匠と仕事をしたことがある。オークションの司会やったけど、あれだけ。師匠はずっと『ワシが金稼げんのは落語だけや』と言ってました」と話した。

 芸以外で人前に出ることを苦手とした春団治さんの意向に沿い、春之輔ら一門は「万一の際は密葬で」と決めていた。

 春団治さんは9日に亡くなり、11日に親族や一門で密葬を終えた。棺に眠る春団治さんには、お気に入りで、最も似合っていた柿色の着物を着せ、見送ったという。

 戒名は「一春鑽陰釈一道(しゅんさんいんしゃくいちどう)」。 



桂文枝「まだ整理がつかない」桂春団治さん悼む
 日刊スポーツ - 2016年1月15日0時0分
 

 9日に亡くなった3代目桂春団治さん(享年85)について、上方落語協会会長の6代桂文枝(72)が14日夜、ブログに「合掌」と題して「まだ整理がつかない」などとコメントをつづった。

 「訃報を聞いて、ずっと落ち込んでいました。何日か前から、春之輔副会長と繁昌亭でのお別れ会のやりとりをしておりました」と、今月26日に天満天神繁昌亭で行うお別れの会を話し合ってきたことを明かした。

 文枝は05年に、春団治さんらとともに戦後の上方落語復興に尽力した師匠の5代目桂文枝さんを亡くし、翌06年9月、上方落語界の悲願だった戦後初の定席小屋「天満天神繁昌亭」をオープンさせた。その開館日には、春団治さんを赤い人力車に乗せパレードしていた。

 文枝にとって、師匠世代では最後の大看板だっただけに「師匠との思い出を書きたいと思いますが、いまはまだ整理がつかない状態です。間違いなく、会長として、今日までこられたのは、陰でささえてくださった師匠のおかげです。感謝しかありません」と記した。

 春団治さんからは「芸人とは、落語家とは、師匠に教わった」と言い、それらを「すこしでも身につけて、後輩を育てることができるように、頑張りたいと思います。かなしいですが、この現実を受け止めて、あした臨みたいと思います」ともつづった。

 文枝は15日午前、大阪市内で、お別れの会についての会見を開く。 




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