2015年8月11日(火)
この前の日曜日(8/9)に見に行った映画 【日本のいちばん長い日】
に関連する情報です。
まさに70年前のこの日に『聖断』 が下される 【御前会議】 が開かれていたとのこと。
 御前会議が開かれた 「御文庫附属庫」 (映画セット:松竹京都撮影所)

【戦後70年】 8月10日午前2時、昭和天皇の「聖断」 1945年8月10日はこんな日だった The Huffington Post | 執筆者: 吉野太一郎 投稿日: 2015年08月10日 07時15分
 宮内庁が2015年8月1日に公開した 現在の「御文庫附属庫」の写真 8月9日午後11時50分、皇居内にある御文庫附属庫。約50平方メートルほどの地下の防空壕で、昭和天皇が参席する御前会議が始まった。議題は一つ、ポツダム宣言を条件1つで受け入れるか、それとも4つの条件をつけるか。
前日の最高戦争指導会議で、東郷茂徳外相が主張したのは「天皇の国法上の地位を変更しない」1条件。これに対し阿南惟幾・陸軍大臣らは「占領は小範囲で短期間」「武装解除は日本の手で」「戦犯処置は日本の手で」を追加した4条件を主張した。
通常であれば用意される御本(御前会議の筋書きを書いた台本)もない、異例の御前会議は、両派が意見を述べ合うばかりで、意見の一致は見られなかった。
日付が変わり、8月10日午前2時を回ったところで、鈴木貫太郎首相が昭和天皇の意見を求めた。
「まことに異例で畏多いことでございまするが、ご聖断を拝しまして、聖慮をもって本会議の結論といたしたいと存じます」
促された昭和天皇は言明した。
「それならば自分の意見を言おう。 自分の意見は外務大臣の意見に同意である」
この瞬間、1条件でのポツダム宣言受諾が決まった。
いわゆる「聖断」が下された。
同席していた迫水久常・内閣書記官長によれば、 昭和天皇は続けて以下のように語ったという。 大東亜戦争が初まってから陸海軍のして来たことを見ると、どうも予定と結果が大変に違う場合が多い。 今陸軍、海軍では先程も大臣、総長が申したように本土決戦の準備をして居り、勝つ自信があると申して居るが、自分はその点について心配している。 先日参謀総長から九十九里浜の防備について話を聞いたが、実はその後侍従武官が実地に見て来ての話では、総長の話とは非常に違っていて、防備は殆んど出来ていないようである。 又先日編成を終った或る師団の装備については、参謀総長から完了の旨の話を聞いたが、実は兵士に銃剣さえ行き渡って居らない有様である事が判った。 このような状態で本土決戦に突入したらどうなるか、自分は非常に心配である。 或は日本民族は皆死んでしまわなければならなくなるのではなかろうかと思う。そうなったらどうしてこの日本という国を子孫に伝えることが出来るか。 自分の任務は祖先から受けついだこの日本を子孫に伝えることである。今日となっては一人でも多くの日本人に生き残っていて貰って、その人達が将来再び起ち上って貰う外に、この日本を子孫に伝える方法はないと思う。 それにこのまゝ戦を続けることは世界人類にとっても不幸なことである。 自分は明治天皇の三国干渉の時のお心持も考え、自分のことはどうなっても構わない。 堪え難きこと忍び難きことであるが、この戦争をやめる決心をした次第である。
午前7時、中立国のスイスとスウェーデンの日本公使あてに、ポツダム宣言を受諾するとの電報が送られた。両公使によって降伏の意思はアメリカ、中国、イギリス、ソ連に伝達された。
午前11時、東郷茂徳外相はソ連のヤコフ・マリク駐日大使と会談した。東郷はマリクからは公式な宣戦布告状を受け取り、ポツダム宣言受諾の意思を伝えた。(*1)
午後7時(日本時間)、日本政府の対外情報発信の役割を担っていた「同盟通信社」は、対外放送で、日本の降伏受け入れ意思を表明した。しかしこのニュースは、日本国民には伏せられた。 以上、The Huffington Post からの引用終わり (原版はもう少し記事が続きます)
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映画では、後段の 『各国への通知』 の部分は描かれなかった。
天皇の語った内容の後半の意向は 【終戦の詔書】 (下記) の 一節にも活かされているようだ。
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【戦後70年】 玉音放送をめぐるクーデター? 日本人が意外と知らない、戦争にまつわる7つのこと The Huffington Post | 執筆者: Emi Kawasaki 投稿日: 2015年7月31日 更新: 08月05日 12時30分

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ここで、8月1日に宮内庁から改めて公開された 【終戦の詔書】 を 時事通信が掲載した分(ひらがな・ルビ付き)で御紹介します。

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昭 和 二 十 年 八 月 十 五 日 大 東 亜 戦 争 終 結 に 関 す る 詔 書 (全文)
朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑(かんが)み非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し茲(ここ)に忠良なる爾(なんじ)臣民に告く 朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり 抑々(そもそも)帝国臣民の康寧(こうねい)を図り万邦共栄の楽を偕(とも)にするは皇祖皇宗の遺範にして朕の拳々(けんけん)措かさる所曩(さき)に米英二国に宣戦せる所以(ゆえん)も亦実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾するに出て他国の主権を排し領土を侵すか如きは固(もと)より朕か志にあらす然るに交戦已(すで)に四歳(しさい)を閲(けみ)し朕か陸海将兵の勇戦朕か百僚有司の励精朕か一億衆庶の奉公各々(おのおの)最善を尽せるに拘らす戦局必すしも好転せす世界の大勢亦(また)我に利あらす加之(しかのみならず)敵は新に残虐なる爆弾を使用して頻(しきり)に無辜(むこ)を殺傷し惨害の及ふ所真(しん)に測るへからさるに至る而(しか)も尚交戦を継続せむか終(つい)に我か民族の滅亡を招来するのみならす延(ひい)て人類の文明をも破却すへし斯(かく)の如くむは朕何を以てか億兆の赤子(せきし)を保(ほ)し皇祖皇宗の神霊に謝せむや是れ朕か帝国政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり 朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し遺憾の意を表せさるを得す帝国臣民にして戦陣に死し職域に殉し非命に斃(たお)れたる者及其の遺族に想(おもい)を致せは五内(ごない)為に裂く且(かつ)戦傷を負ひ災禍を蒙(こうむ)り家業を失ひたる者の厚生に至りては朕の深く軫念(しんねん)する所なり惟(おも)ふに今後帝国の受くへき苦難は固より尋常にあらす爾臣民の衷情も朕善く之を知る然れとも朕は時運の趨(おもむ)く所堪へ難きを堪へ忍ひ難きを忍ひ以て万世の為に太平を開かむと欲す 朕は茲に国体を護持し得て忠良なる爾臣民の赤誠に信倚(しんい)し常に爾臣民と共に在り若し夫れ情(じょう)の激する所濫(みだり)に事端(じたん)を滋(しげ)くし或は同胞排擠(はいさい)互に時局を乱り為に大道(だいどう)を誤り信義を世界に失ふか如きは朕最も之を戒む宜しく挙国一家子孫相伝へ確(かた)く神州の不滅を信し任重くして道遠きを念ひ総力を将来の建設に傾け道義を篤くし志操を鞏(かた)くし誓(ちかっ)て国体の精華を発揚し世界の進運に後れさらむことを期すへし爾臣民其れ克く朕か意を体せよ。
(時事通信 - 2015/08/01-08:09)

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