2014年12月9日(火)
【AKB48】 の創立メンバー(第1期生)の一人で、若くして『総監督』を襲名していた 高橋みなみ さんが、1年後の2015年12月10日のAKB創立10周年記念イベント をもって、卒業することを表明されました。

【AKB48】 も創設5年頃の破竹の勢いは無く、熱烈なファンに支えられて オタク化している現状だったと思います。
この日刊スポーツにも大きく出ているように、1期生・2期生など 【AKB48】 を一から (観客も僅かだった状態から)創り上げてきた来たメンバーと比べて、超有名になってから 加わったメンバーには 「危機感が無い」 との思いが強かったようです。
前田敦子・篠田麻里子・大島裕子と云う3枚看板が離脱してからは 【AKB48】 は、 やはり勢いが徐々に衰えているのは隠れも無い事実でしょう!
そういう状況に 『喝』 を入れるための卒業表明だったと思われます。 これから1年掛けて、創立メンバーの生き残りとして、AKBイズムとプライドを後輩たちに 伝承し、堂々と祝福されつつ、惜しまれつつ卒業の華を飾るのでしょう!


とはいえ、この日刊スポーツを良く読むと、『卒業』 を促したのは、秋元康氏である らしいことも解ります。 心の準備はしていたでしょうが、高橋みなみ自らが秋元康氏に 申し出たのではなく、『卒業 どうする?』 と、秋元氏より促した ようです。 また、高橋みなみさんが自ら指名したとされている 『総監督後継者』 横山由依も 実際には秋元氏から指示された人事 のようで、高橋みなみさんは反対だったとのこと。 それは、『総監督』の過酷さが解っているので親しい後輩には負担させたくなかったため と公式にはされていますが、真相は不明。
『サプライズ』 卒業宣言は、秋元康氏のプロモーション戦術の一環であった、と云う訳!

たかみな卒業発表 「危機感ない」と決断 日刊スポーツ - 2014年12月9日(火) 7時9分 AKB48高橋みなみ(23)が8日、AKB48からの卒業を発表した。東京・秋葉原のAKB48劇場で行われた9周年記念特別公演に出演し、10周年記念日の来年12月8日をめどにグループから去ることを報告した。48グループ総監督の後継者には、横山由依(22)を指名。公演後、日刊スポーツの独占取材に応じ、危機感のないメンバーに活を入れるための決断だったことを明かした。
卒業表明から30分後。高橋はスッキリした表情で、思いの丈を語った。「前田敦子の卒業が決まったときから、1期生全員を見送って10年をメドに卒業したいなと考えてました。小嶋陽菜より先にとは思ってませんでした」。
9周年公演での発表は、秋元康総合プロデューサーからの提案だった。10月末、2回目の2人きりでの会食。突然、「卒業どうする?」と切り出された。驚きながら「10年をメドに」と答えると「じゃあ(発表は)12月8日だな」と言われた。「あと1カ月少しでしたけど『分かりました』と即答した自分がいました。秋元さんが『ここだ』と思ったら、そこなんです。今までも、その船に乗ってきましたから」。師弟のあうんの呼吸で決まった。
グループのために個人を犠牲にする総監督を横山由依に託すことに当初、大反対だった。「かわいい後輩につらい役目は負わせられない。絶対に私で終わらせます。昔の私のように、勝手に引っ張る子が出てくるまでは、みんなで頑張れば良い」。だが、秋元氏に「そんな時間は今のAKBにはない。先頭を切れる子がいないと、このグループはまとまらない」と諭された。加えて「横山本人のチャンスにもなる」とも言われて、最後は号泣しながら受け入れた。「同期の小嶋(陽菜)と峯岸(みなみ)よりも先に、大阪行きの新幹線の車中で横山に打ち明けました。1年かけてバトンタッチするつもりです」。
リーダーゆえに最もグループの現状は分かっていた。「これまでも大島優子とともにAKB48イズムをみんなに伝えてきました。それでも…、やっぱり今のAKBには危機感がない!! きっと、いなくなってみないと分からないものなんですよね。だから、私は今夜、卒業としか言ってないけれど、無言でみんなに課題を与えたんです。手荒いやり方だし、うぬぼれに聞こえるかもしれないけど、私の卒業をリアルに言わないと、始まらないこともあったんです。今夜、本当の意味でAKB48の10年目スタートを切れました」。
公演前は緊張したが、マイクを握ると「言うべきことがある」と我に返った。300人を引っ張ってきたリーダーの責任感だ。「(6日放送の)『めちゃイケ』さんの卒業ドッキリが、いいリハーサルになってました」と笑いながら振り返った。
「発表日を決めた2週間後に番組の企画を聞かされたんですよ。真っ先に12月8日より放送日が後にならないかと心配しました」。卒業後の進路はソロ歌手としているが、同番組では迫真の演技で涙を流し、女優の可能性も感じさせた。それでも「本当の卒業発表も控えてたので、ある意味、あれは演技じゃなかったんですよ」と苦笑い。全ての真相を語る声は、すがすがしく聞こえた。【瀬津真也】
◆高橋(たかはし)みなみ 1991年(平3)4月8日、東京都生まれ。05年12月、AKB48の1期生として加入し、チームA一筋。12年8月、48グループ総監督就任。13年4月「Jane Doe」でソロデビュー。総選挙は09年の第1回から5→6→7→6→8→9位。愛称「たかみな」。血液型AB。
[2014年12月9日7時9分 紙面から]
秋元氏、たかみなと無言で握手「AKBは夢を叶えるまでのドキュメンタリー」 マイナビニュース - 2014年12月9日(火)15:31 AKB48の高橋みなみが8日の9周年記念公演で卒業を発表したことを受け、総合プロデュースを手がける秋元康氏が9日、トークライブアプリ「755」で心境をつづった。
秋元氏は「2005年12月8日、東京の秋葉原にある専用劇場でAKB48は誕生しました」という書き出しから、結成当初を「出来たばかりの野球部に入部して来た"未経験者"の集まり」「落ちこぼれ集団、日本一の弱小チーム」と例え、「みんなで甲子園(東京ドーム)へ行こう」とメンバーに呼びかけていたことを明かした。
そして、9年の活動を経て「『AKB48はアイドルグループというより、日本一の弱小チームが頑張って夢を叶えるまでのドキュメンタリー』だと」と実感。「じゃあ、私だって…、僕だって…と、みんなが夢に向かって走り出してくれればいいなと思います」と期待を寄せ、「高橋みなみは、与えられた区間を、いや、与えられた以上の区間を、あと一年、全力で走ります」と10周年となる1年後を目処に卒業する高橋を思った。
秋元氏の願いは「だから、応援してくださっているみなさんも、是非、それぞれ、自分の夢に向かって走って欲しいと思います」。ファンに向けて「紅白歌合戦やレコード大賞に呼んでいただけるようになったんですから、君にもできます」とメッセージを送り、「AKB48と一緒に夢に向かって走りましょう。9年間、応援ありがとうございました。これからもよろしくお願いします」とつづった。
そのほか、「僕は客席上手の壁際で観ていました。隣で大島優子が号泣していました」と卒業発表時の様子や、「昨日、劇場の楽屋でステージから戻ってきた高橋みなみにどんな言葉をかけようかと思っていましたが、言葉が見つからず、黙って長い握手をしました」など本人とのエピソードも。公演後は高橋みなみ、小嶋陽菜、峯岸みなみ、横山由依やスタッフら総勢20人とイタリアンレストランで食事をしたという。

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テーマ:AKB48
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