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観劇レビュー&旅行記
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観月ありさ が 花魁を真剣に熱演
 「ナースのお仕事」「鬼嫁日記」など、おとばけキャラクターでコメディ出演が定着していた 観月ありさ さん(31)が、
昨日放映された 「吉原炎上」に主演し、悲惨な境遇から立ち上がってゆく花魁「紫」を力強く、かつ妖艶に演じていた。

YosiwaraEnjouS.jpg

 さすがに、遊郭に売られてきた時の18歳前後の出だしのシーンでは、幼さは見えなかったが、花魁として成長してゆく過程は素晴らしかったと思う。

 舞台は明治時代後半の吉原遊郭。冒頭で江戸初期からの吉原遊郭の変遷を簡単に紹介する。
 ドラマは、観月ありさ 扮する内田久野が吉原では大店ではない中堅の遊郭「夕凪桜」で、下働きから遊女。“若汐”となり客をとる場面、そして花魁「紫」となって「花魁道中」を繰り広げるクライマックスに進む。

MizukiArisainMurasaki.jpg

 明治44年、吉原が大火に見舞われる場面がラストとなり、明治と伴に滅びてゆくが・・・
 
 ドラマのエンドクレジットと伴に、昭和33年に「売春防止法」が制定されるまで、340年以上に亘って「吉原」は不死鳥のごとく存続してきたが、今は当時の閉鎖された空間としての吉原は無くなったことを伝えて終わる。
 この間に吉原から脱出することができずに亡くなった女性は、菩提寺に記録があるだけでも2万人以上に登ることを紹介し、このドラマで生き様を描いた女性は、それら多数の女性たちの一部(代弁者)でしかないことを見るものに想起させる。

YosiwaraEnjouComment.jpg


【公式ホームページ】 に記述されている「時代背景」は、TVでは紹介されていなかったが注目すべき内容であった。
続き【...read more】 で全文を紹介しているが、一部を先に引用すると
※ 明治30年代、大資本による軍需産業や輸出産業が盛んになり、“成り金”と呼ばれるような層が出現する。しかしその一方で、低賃金に抑えられた都市労働者、度重なる米の凶作に見舞われた農民などの生活苦も深刻になっていった。
※ このドラマの主人公・久野が夕凪楼へ来た明治40年(1907)当時、疲弊した農家は稗、粟が常食で、年間2万の農家が田畑を失い離散していったといわれる。
※ こういう状況にあって、種々の事情から娘を遊郭に売る家もまた珍しくはなかった。
年季奉公の際に纏まった支度金をもらえる遊女は、貧困層にとっては、ある意味必要悪的な職業といえた。
※ まさに現代のように貧富の格差が大きくなる中、この時代に社会主義運動が勃興、明治43年(1910)には天皇暗殺を企てたといわれる大逆事件が起こる。そして明治45年(1912)7月、明治天皇が逝去、明治時代はここに終焉を迎えた。

【公式ホームページ】は、ここをクリック

スポーツ報知記事;【観月ありさ、時代劇初挑戦…おいらん姿で新境地「吉原炎上」主演】

1987年映画版と20年後の、2007年TV版の概略を紹介した Wikipediaの記事は、ここをクリック

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【観月ありさ プロフィール】
生年月日: 1976年12月5日
現年齢: 31歳
出身地: 東京都練馬区
血液型: A
公称サイズ(2007年4月時点)
身長 / 体重: 168 cm / ― kg
股下 / 身長比: 84 cm / 50 %
 (やっぱり脚長~~い)


【続き】 です。

【公式ホームページ】より

『時代背景』

明治30年代、日本は欧米列強と肩を並べるために、軍事予算を膨張させていった。このころから資本家が台頭、大資本による軍需産業や輸出産業が盛んになり、“成り金”と呼ばれるような層が出現する。しかしその一方で、低賃金に抑えられた都市労働者、度重なる米の凶作に見舞われた農民などの生活苦も深刻になっていった。    

明治37年(1904)、日本は軍事大国ロシアとの開戦に踏み切る。この戦争における膨大な戦費は、増税に継ぐ増税と軍事公債によって賄われ、日本軍は1年余続いた日露戦争を辛うじて勝利に導く。

だが、戦争は終結したものの、増税によるインフレは一向に収まることはなく、庶民の懐を直撃する。

このドラマの主人公・久野が夕凪楼へ来た明治40年(1907)当時、疲弊した農家は稗、粟が常食で、年間2万の農家が田畑を失い離散していったといわれる。当然、その背後には数十万の生活苦にあえぐ農家があったことは想像に難くない。

こういう状況にあって、種々の事情から娘を遊郭に売る家もまた珍しくはなかった。この時代、女子の一般的職業は、商家の下働き、女工などごく限られた分野にしかなく、年季奉公の際に纏まった支度金をもらえる遊女は、貧困層にとっては、ある意味必要悪的な職業といえた。

このころ、遊女と遊ぶための料金・揚代(あげだい)は、店の格などによって1円~20銭まで数段階に分かれていた。当時、大学卒の公務員の初任給が50円前後、同銀行員の初任給が35円前後、一方で女工の給金が1日10銭前後で1ヶ月丸々働いたとしても3円にしかならなかった。また物価は、平均的な米一升(1.5kg)の値段が10銭、かけソバ、コーヒーなど一杯3銭という記録があり、現在かけソバ一杯600円として大体2万倍。揚代は、今の価格に直してみると2万円~4千円というところか。

だが、この中から遊女に入るのは25%、2万円で5千円、4千円ではわずか1千円にしかならなかった。ご飯と味噌汁、それと漬物だけは楼持ちで、あとの一切を自分で賄わなければならない遊女にとって、楼からの借金を返しながら金をためることがどれだけ大変だかは容易に察することが出来る。久野のように年季が明けて堂々と大門を後にしたのはほんの一握りしかいなかったのだ。

まさに現代のように貧富の格差が大きくなる中、この時代に社会主義運動が勃興、明治43年(1910)には天皇暗殺を企てたといわれる大逆事件が起こる。そして明治45年(1912)7月、明治天皇が逝去、明治時代はここに終焉を迎えた。

『吉原の歴史』

1603年
(慶長8) 徳川家康が征夷大将軍となり江戸に幕府を開く。
1617年
(元和3) 幕府より葭原遊郭の開設が許可される。場所は日本橋葦屋町、現在の日本橋人形町のあたりになる。当時、この一帯は葦の生い茂った湿地帯で、葭(葦)原と呼ぶにふさわしい場所であった。
1626年
(寛永3) 葭原から吉原と改称される。
1657年
(明暦3) この年の大火(いわゆる“振袖火事”)で吉原遊郭が全焼。これを機に浅草日本堤(現在の台東区千束)に移った。以降、日本橋時代を元吉原、浅草時代を新吉原と呼ぶようになる。
1868年
(明治1) 明治政府が樹立され、海外に門戸が開かれる。以後、先進諸国に肩を並べるべく富国強兵に努めるが、同時に諸外国から公娼制度に対して非難を浴び、国内でも廃娼運動が盛んになる。
1911年
(明治44) 大火で全焼するも、不死鳥のごとく甦る。
1958年
(昭和33) 売春防止法施行を翌日に控えた3月31日、340年に及ぶ吉原遊郭の歴史に幕が下ろされた。


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