2013年1月1日(元旦・火)
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今日は、身近なニュースが無いのでWebニュースから m(_ _)m
ベアテ・シロタ・ゴードンさん死去 憲法草案作成携わる 朝日新聞 - 2013年1月1日(元旦・火)2時5分

【ニューヨーク=中井大助】
第2次世界大戦後に連合国軍総司令部(GHQ)の一員として日本国憲法の草案作成に携わり、男女平等などの条文を盛り込んだベアテ・シロタ・ゴードンさんが昨年12月30日、膵臓(すいぞう)がんのためニューヨークの自宅で死去した。89歳だった。追悼式などは後日行う。 長女のニコルさんによると、最期の言葉は日本国憲法に盛り込まれた平和条項と、女性の権利を守ってほしい、という趣旨だった。献花などを希望の場合は代わりに、憲法9条を守るため、作家の大江健三郎さんらが結成した「九条の会」に寄付してほしいという。 1923年、オーストリア生まれ。著名ピアニストだった父のレオ・シロタさんが東京音楽学校の教授に就任したことをきっかけに29年に来日し、幼少期を日本で過ごした。
日米開戦前に、大学進学のため日本を離れて米国にわたったが、終戦後にGHQ職員として採用され、再び来日。憲法の草案作成指令を受けて人権小委員会に所属。その起案した内容が14条(法の下の平等)、24条(婚姻における両性の平等)につながった。
47年に離日した後も日本とのつながりは深く、ニューヨークのジャパン・ソサエティー、アジア・ソサエティーのディレクターとして日本文化などを広く紹介。2000年には参議院の憲法調査会に参考人として出席し、憲法草案の状況などについて詳述。このほかにも頻繁に来日し、講演などを精力的に行っていた。
平和と女性の権利訴え 改憲の動きに警鐘 ゴードンさん 朝日新聞(続報・追記) - 2013年1月3日03時00分 【ニューヨーク=中井大助】 日本国憲法の草案作成に直接携わった最後の生き証人だった米国人女性、ベアテ・シロタ・ゴードンさんが、12月30日に89歳で亡くなる直前まで気にかけたのは、「平和」と「女性の権利」だった。朝日新聞の取材に「日本の憲法は世界のモデル」「若い女性はもっと活躍してほしい」と語ったのが、対外的な最後の言葉となった。
ゴードンさんは幼少期を日本で過ごし、当時の日本社会をよく知っていた。憲法草案で男女平等の条文にこだわったのは、「女性の権利が全くない状況」を体験していたためだった。
それから65年以上。日本社会が築いてきた進展を歓迎しつつも、昨年12月の総選挙で女性の当選者が38人にとどまったことについては「大変気がかり」と憂えた。「若い女性には、日本の女性の歴史的境遇や、その権利の進歩について学んで欲しい。そうした若い女性が政治や経済の分野で積極的に活動することが必要です」と訴えていた。
東京で育った当時、自宅には憲兵が毎日のように来ていた。「日本の軍国主義を自分の目で見た」というゴードンさんは、平和に対する信念も強かった。
改憲の動きに対しては「日本の国会議員の多くが改憲に賛成であることは非常に残念です。憲法9条は世界にとってのモデルで、逆戻りしたら大きな損失。他の国にとって倫理的な基準を示しているだけでなく、日本が軍事ではなく経済発展に力を注ぐことを可能にした。民主的な政治手続きが保障されず、近代国家としてふさわしい内容でなかった明治憲法の下で日本がどうだったのか、改めて調べてほしい」と懸念していた。
彼女の存在自体が、「憲法は押しつけられた」という言説への反証だった。「草案者たちは、民主主義社会の実現を目指しながらも、日本の文化や懸念にも非常に敏感でした。実際、日本側の発言によって、草案が変わった部分もあります」と指摘。「敗戦直後だったが、その内容は交渉され、適正な手続きによって日本国政府に採択され、民主主義と人権をもたらしてきた」と話していた。
憲法草案に関わった時、ゴードンさんはまだ22歳。若さが問題視されることもおそれ、半世紀近くにわたり憲法誕生への自身の関与については語らなかった。しかし、90年代に入ってからは積極的に発言するようになり、自伝も出版。80歳を過ぎても日本での講演もこなし、平和と人権の大切さを語っていた。
昨年12月には、体調悪化によって直接面会が無理になりながらも、長女のニコルさんと協力して朝日新聞の質問に対する回答を作成、電話でも質問に答えた。これが最後のインタビューとなった。
ベアテ・シロタ・ゴードンさん死去=日本国憲法起草に従事 (時事通信) - 2013年1月1日(火)11:09 【ニューヨーク時事】
第2次大戦後、日本国憲法の男女平等に関する条項を起草したことで知られる米国人女性ベアテ・シロタ・ゴードンさんが12月30日、膵臓(すいぞう)がんのためニューヨークの自宅で死去した。89歳だった。関係者が31日、明らかにした。
ゴードンさんは22歳の時、連合国軍総司令部(GHQ)のスタッフとして憲法案起草に従事。両性の平等を規定した24条など、人権に関わる条項を担当したほか、草案の翻訳作業にも通訳として加わった。
1923年、オーストリア生まれ。著名なピアニストだった父レオ・シロタさんが当時の東京音楽学校(現東京芸術大学)で教職に就いたため、少女時代の10年間を日本で過ごした。
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テーマ:文明・文化&思想
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