2012年9月8日(土)
6月に「シルクロード旅行」した際の旅行記の続きです。
【新疆ウイグル自治区 絹街道たび】 本編 - 第27回
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【第6日目 2012/6/21】
6:30 起床。 連泊二日目につき、荷物のリパッケージ。 7:30 太極拳 30分(昨日の地元のおじさんの処で一緒に・・・)
 (こちらは、私たちとは別の朝の太極拳を楽しむ地元の方々)
8:00 朝食 昨日と同じ、中華風バイキング式。
9:00 出発
今日は、ホータンからトムシュクまで、途中幾つかの遺跡などを訪問しながらの移動日
従って、ガイドさんのバス車中での、この地域の歴史などの解説を『学習』
以下、車中でのガイドさんの話。(今回は写真無し) 昨日から中国全土で中学・高校の入学試験が行われている。 ホータンは白玉(はくぎょく)および絹織物が産業として盛ん。
西漢で出土した墓の人物が玉衣を纏っていた。
19世紀にスタイン(ハンガリー)や日本の調査隊など多くの調査隊が入り調査を行って有名になった。 ドイツの探検家が「シルクロード」と名付けた。 綿製品を商いしていた。 最終到着地はローマ。 ホータン(和田)市は、白玉で有名。 黒玉市は、黒玉で有名。 「シルクロード」は、西域南道が最初に開拓された。 通行者に税金を掛けて国の収入にした。(当時の国は数千人から数万人程度の小国) 通行税の「権益」を巡って戦争が絶えなかった。 次に「天山南道」を使うようになった。 唐時代に「天山北道」を使うようになった。 こちらは砂漠ルートではなく、草原ルート。
土着民族は「アリアン系」(?)だった。 8世紀(唐の末期)にウイグル人が攻めてきて、ウイグル人が支配するようになった。 アリアン系とウイグル系が混血して、今のウイグル人のルーツとなった。
トルファンは特に多くの民族の混血となった。 漢民族、モンゴル民族、ウイグル民族等など。 (書ききれず)
13世紀、モンゴルの時代に「シルクロード」が大開発されることになった。 マルコポーロによると、カルファロンは、国際都市であったと記述している。 明時代になるとチャガタイ汗国が長城を建設するようになる。 清が、中原を占領、新疆ウイグル地域も支配下に置かれた。
ジュンガル民族と清が百年戦争。 ジュンガル国内の内乱に付け込んで清がなだれ込み、これを滅ぼした。 清の時代に、新疆の「疆」の字が創られた。 辺の弓と土は、武力で土地を占領したと言う意味。 つくりの「一」は山脈を「田」は農地を表し、その山に囲まれた新しい国を作ったという意味が込められていると言う。
まだまだ話は続くが、次回にまわします。
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