2012年1月25日(水)
今日は、荒木栄に関する西日本新聞の記事を引用してお茶を濁します。
「がんばろう」の思い後世に 荒木栄没後50年 (西日本新聞) - 2012年1月25日(水)00:22
 労働運動の代表歌「がんばろう」で知られる作曲家の荒木栄(1924-62)の没後50年を迎え、「うたごえ運動」で一緒に活動した福岡県大牟田市の川上洋さん(69)が荒木直筆の楽譜や写真を展示する資料館づくりを進めている。川上さんは「荒木は常に労働者の思いをどう表現しようか考えていた。歌に込めた思いや背景、人間性を後世に伝えたい」と語る。
60年3月に高校を卒業した川上さんは、戦後最大の労働争議といわれた三池争議の拠点、三池労組本部事務所にあった「うたごえ運動」の事務局員となり、荒木が指揮する合唱団にも参加。荒木が亡くなるまでの約2年半、活動を共にした。
印象に残っているのは、荒木が「がんばろう」を作曲した際に、歌詞を書いた故森田ヤエ子さん=福岡県嘉麻市出身=と交わしたやりとり。「大変立派な歌詞」と喜んだ荒木は、合唱団のメンバーと歌いながら数日で曲を完成させたが、歌詞の一部「もえつくす女のこぶしがある」を「燃えあがる女のこぶしがある」に変えた。
森田さんから「なぜ人の作品を変えたの。おかしいでしょう」と猛烈に抗議された荒木は、合唱メンバーに歌詞の変更を求められたことを伝え、数時間かけて説得した。最後に「みんなが歌っているのを聞いてみてよ」と自ら指揮してみせると、森田さんは静かに聞き入ったという。
川上さんは「荒木は、作品としては『もえつくす』のままでいいと思っていたが、争議で闘っている人たちの思いを大切にして歌詞の変更を訴えた」と解説する。
後に大牟田市職員となった川上さんは退職を機に、「がんばろう」の歌に比べてあまり知られていない荒木本人のことを伝えようと関連資料の収集を始めた。楽譜以外にも、荒木が戦後の闇市に生きる人々を描いた小説、復員しなかった兄を思う短歌、合唱団を指揮している写真など約100点を集めた。
現在は展示できる施設を探しつつ「人間荒木栄をできるだけ多面的に紹介したい」と、荒木と交流があった人たちにも資料提供を呼び掛けている。
■荒木栄
旧三井三池炭鉱の炭鉱住宅(福岡県大牟田市)で生まれる。1939(昭和14)年に三井三池製作所に就職、47年に職場の合唱団で活動を始める。三池争議では「がんばろう」「三池の主婦の子守歌」などを作曲、指揮して三池労組員の士気を鼓舞した。争議終結から約2年後、がんのため38歳で死去。労働歌を中心に約70曲を作曲した。
=2012/01/25付 西日本新聞朝刊=
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