2010年6月26日(土)
先日、NHK-BSで6月20日に放映された BS特集【米海兵隊 変わる沖縄駐留の意味】 が本日総合TVで再放送されたので、これを見ました。
また、6月19日にNHK総合TVで放映され録画しておいた、 NHKスペシャル「密使 若泉敬 沖縄返還の代償」 も合せて見ました。
さらに、昨夜はNHK九州・沖縄インサイドで 【“軍民一体”悲劇の島沖縄 新証言】 が放映されました。
これら全ての番組が、沖縄へのアメリカ軍駐留が如何に理不尽なもので、日本の防衛や 周辺諸国への抑止力にもなっていないという事実を伝えるものでした。
参議院選挙で、民主党が「抑止力」論を持ち出して、沖縄の人々にさらなる負担を押し付けようとしているときに、これらの番組は民主党や自民党などの主張が架空の前提に立っているものであることを突きつけるものとなっていました。
NHK職員の長期に亘る取材と深層に迫ろうとする努力は高く評価して良いものと思います。
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今日は、その中で NHKスペシャル「密使 若泉敬 沖縄返還の代償」 について書きます。

佐藤栄作総理大臣が「沖縄返還交渉」に当たって、 民間人である若泉敬氏(1930年3月29日生 - 1996年7月27日没)を 佐藤栄作氏の個人的密使(Personal Confidential Representativ) として秘密裏に訪米させて、米国政府の動向を探らせながら秘密交渉に当たらせた。

若泉敬氏は、留学中の米国人同窓生など知り合いのネットワークを駆使して米国政府の真意を量ろうと行動する。
佐藤総理は、交渉のほぼ全権を若泉敬氏に委任して米国政府との交渉をまとめるよう指示する。
若泉敬氏は、佐藤総理大臣とニクソン大統領が、「有事の際の核兵器の再持込み」を日本国民には完全に秘密とする【密約】を結ぶことが、沖縄返還の条件であることを佐藤総理に飲ませ、その内容で【密約】を締結し、沖縄返還がなる。
佐藤家で佐藤総理の遺品を整理する中で、「佐藤総理大臣とニクソン大統領が自筆署名した密約文書」が見つかり、番組では、佐藤総理の子息である佐藤信二・元代議士の立会いのもとでこれを撮影し放映した。

しかし、米国は潜水艦搭載型核兵器を既に開発しており、沖縄に核兵器を維持したり再持込したりする必要はなく、「沖縄からの核兵器撤去は織り込み済みである」という極秘文書が公開期限を過ぎて公表された。
すなわち、沖縄への「核再持込密約」は、戦略的な意味では締結する必要は無かったのである。
にも拘らず、この密約を米国が結んだのは、核兵器に対する日本国民の拒否感を逆手にとって、「沖縄からの核兵器撤去」を日本政府に表向き公表させる代わりに、沖縄を自由に使えるようにするという戦略的位置づけを日本政府に飲ませるものであったことが判明するのである。
このことは、交渉の中心であった若泉敬氏も当然日本政府も全く解らなかったとされている。
頼りにした若泉敬氏の留学中の知り合いは、この戦略を織り込み済みで、米側の一員として交渉にあたったが、一切これを秘密にしていた。
若泉敬氏は、これらの秘密交渉の経緯を当初 墓場まで持ってゆくつもりであったが、沖縄の人々の苦悩や怒りを実感する中で、一切を公開することを決意し、 【他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス】 (文藝春秋社:現在も購入可能) の著書を著し、この中で密約に至る全貌を明らかにしたが、政府は黙殺した。

若泉敬氏は、これを公にすることで、政治・外交の「大問題」となり、国会喚問も受けて立つ覚悟で全ての真実を明らかにするつもりであったが、みごとに『黙殺』されて「大問題」とはならず、国会にも沖縄県議会にさえ喚問や招致もされず、大きな屈辱を感じたと言う。(知人宛書簡による)
当時、マス・メディアも、若泉敬氏の勇気ある告発を無視したという。
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NHKニュース 2010年6月19日 より
NHK予告編
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NHK番組ホームページより引用
1972年に、「核抜き・本土並み」をうたって実現した沖縄返還。しかし、その裏で、「有事の核の再持ち込み」を認める「密約」が、日米首脳の間で取り交わされていた。その交渉の際、「密約は返還のための代償だ」として佐藤首相を説得し、密約の草案を作成したのが、首相の密使、若泉敬・京都産業大学教授だった。若泉は、1994年に著作『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』でその秘密交渉を暴露し、2年後に亡くなった。若泉はなぜ国家機密を暴露したのか。
これまで全く明らかにされてこなかった、機密資料と新証言から浮かび上がるのは、沖縄返還の代償として結んだ密約が、結果として基地の固定化につながったことに苦悩し、沖縄県民に対する自責の念に押しつぶされる若泉の姿だった。本土と沖縄の断絶に引き裂かれ、破滅していった若泉敬の生涯を通して、いま日米間の最大の懸案となっている、“沖縄問題”の深層を描きだす。
【関連リンク】
若泉 敬(1930年3月29日 – 1996年7月27日) Wikipedia
密使 若泉敬 沖縄返還の代償 / 若泉敬さんを知っていますか? 今夜NHKが取り上げます
「(沖縄核持込)密約を結んだ若泉敬という人物」 はるの日記
密使 若泉敬 沖縄返還の代償 ふじふじのフィルター
<若泉敬さんを知っていますか?>密使 若泉敬 沖縄返還の代償 2010.6.19 どこへ行く、日本
「核密約」遺書でわびる 密使として関与の故・若泉敬氏 琉球新報 2005年5月14日
著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」の中で沖縄返還交渉において、自らが佐藤栄作首相=当時=の密使として核持ち込み密約にかかわったことを告白した元京都産業大学教授・若泉敬氏(1996年死去=享年66歳)の遺書の写しがこのほど、関係者の手により明らかになった。
遺書は1994年6月23日の日付で、県民と、当時の大田昌秀県知事(現参院議員)あて。この中では、核持ち込み密約にかかわった自らの責任を悔い「歴史に対して負っている私の重い『結果責任』を取り、国立戦没者墓苑において自裁(自決)します」と記されている。
慰霊の日のこの日、若泉氏は同墓苑に喪服姿で参拝に訪れている。これまでも自決するために沖縄を訪問したといわれており、遺書の内容はこれを裏付けるものとなった。 遺書は「嘆願状」の題目で10行の便せん5枚。自らの著書により県民に「新たな不安、心痛、憤怒を惹(ひ)き起こした」と述懐。沖縄返還交渉で緊急時の核の再持ち込みの「密約」が交わされたとされる1969年の日米首脳会談以来、密使としてかかわった自らの責任の重さを記している。
墓苑での自決を思いとどまった若泉氏は、著書の英訳出版など日米関係の実態をさらに広めようとしたが、96年7月27日、すい臓がんのため死去した。
若泉氏の同墓苑参拝に立ち会うなど、92年から亡くなる直前まで取材した琉球朝日放送(QAB)報道制作局長の具志堅勝也さん(50)がこのほど、同氏の弁護士から遺書の写しを入手した。具志堅さんは「いつも沖縄のことを気に掛けている人だった。本土復帰は良かったのかと質問を受けたこともある。密約は県民にとってありがたい話ではないが、歴史の裏に隠された真実を知ってほしい」と話した。
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テーマ:沖縄米軍基地問題
- ジャンル:政治・経済
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