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観劇レビュー&旅行記
【観劇レビュー&旅行記】を中心にFC2上で、私の思いを気の向くままに書いてゆきます。 政治・時事評論は 【JUNSKY blog】に引続き運用します。リンクの一番上に記載しています。


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ナチス・ヒットラーによるワルシャワ破壊
2010年2月3日(水)

【ポーランド + α 気まま旅】 第44回

 旅行の方は、2009年9月24日 「ショパン・ツアー」(ワルシャワ) での 続きです。


*********************************
 ガイドのロピュツィンスキ(Lopuszynski)?さんは、ショパンのこと以上に、1943年4月のゲットー蜂起と1944年8月のワルシャワ蜂起のことを何度も語り、そこそこの場所を走行中の車中から案内された。
御年輩からして(70歳前後か)これらの蜂起とその後のナチスによる残忍極まる弾圧をその目で目撃されたのでしょう。

 ガイドブックなどによれば、これらの蜂起はゲットー内外のワルシャワの労働者や民衆が、ソ連の支援を期待して決起したものでしたが、ナチスとの密約を結んでいたソ連は彼らを見捨て、弾圧されるに任せたとのこと。

 ワルシャワ蜂起の指導者が一方的にソ連に期待しただけとは到底思えず、労働者間では支援の意思疎通があったのでしょう。それをソ連指導部がポーランド領有の目論見の障害になると考えて見捨てたのではないでしょうか?(これは、私の勘繰りにすぎませんが・・・)

以下の碑文もこれらの戦いに倒れた人々を顕彰するものだと思います。

P9240029M.jpg

P9240026M.jpg

P9240025M.jpg


 ヒトラーによるワルシャワ破壊は、空爆によるものだけではなく、それぞれの宮殿や教会やビルに個別にダイナマイトを仕掛けて『計画的に』破壊したものだそうです。

 これによって、ワルシャワ市内の8割の建物が破壊されたそうですし、ユダヤ系を中心に市民の2割が殺害されたとのこと。
 *********************

 時代を遡って、ショパンの父は、1794年11月29日の第一次ワルシャワ蜂起に軍人(司令官)として参加したと言います。これは、ナポレオンの欧州制覇の遠征の際のことのようです。
 ショパンはまだ生まれておらず、ベートーヴェン24歳の多感な頃です。

 その後も幾たびも蜂起が行われたようですが、充分にガイドの話を聞きとれませんでした。

 何度めの蜂起の時かは不明ですが、ショパンがワルシャワを出てウィーン(パリか?)に到着直後、友人も参加する革命運動が弾圧されたことを知り、すぐさまポーランドに帰国しようとしたが、親友に「君は作曲することで音楽で市民に勇気を与えるべきだ」と強く説得・制止されて、やむなく帰国を思い留まったとのこと。

 そして、その思いを「革命のエチュード」に込めて作曲したと言います(ちょっと出来すぎた伝説のような話ですが、ガイドさんは真剣そのものです)。


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【ポーランド + α 気まま旅】 第44回
   【ポーランド + α 気まま旅】 第43回 へ      第45回 へ  
     この連載を最初から読む
       前振り(第1回から13回)を省略して旅行記本編の冒頭(第14回)から読む
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テーマ:ヨーロッパ旅行記 - ジャンル:旅行

この記事に対するコメント

Flora_kz 様

お読みいただきありがとうございます。

また、ご心配ありがとうございます。
記事の更新の方は、体調に関わらず毎日行っておりますよ。

参考情報ありがとうございました。

この記事で書いている情報は、歴史的事実というよりガイドのおじいさんが語られた内容のうち、そのとき記憶に残っていることとお察しくださいませ。

【2011/02/27 21:23】 URL | JUNSKY #96q68/9Y [ 編集]


JUNSKY様

 その後久しぶりにコンサートレビューが載っておりましたので、腰の方も回復して来られたものと推察しております。以下もし参考になりましたら。
 
 ショパンが世に出ることを目指す旅に出てウィーン到着後、ワルシャワで暴動が勃発しロシアに宣戦布告したため、旅に同行していた友人は祖国に引き返した。残されたショパンは一人ロンドン(パリではなく)を目指して旅を続ける途中、1831年9月8日、シュトゥットガルトに到着した時ワルシャワ陥落の報を聞き、祖国への思いと絶望の余りあの革命のエチュードOp.10-12を作曲した、 とのことです。

【2011/02/27 21:07】 URL | Flora_kz #- [ 編集]



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