2009年11月17日(火)
まだ現役バリバリだった、大浦みずきさんが、肺がんで亡くなられたそうです。 これからの活動も期待された53歳の若さでした。
退団後の演劇なども幾つか見たことがありますので、残念です。
ご冥福をお祈りいたします。
 (時事通信 11月16日(月) 9時 7分)
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大浦みずきさん死去 =元宝塚トップスター、ダンスの名手 時事通信 2009年11月16日(月)00:03 元宝塚歌劇団花組のトップスターで、退団後はミュージカルを中心に女優として活躍した大浦みずき(おおうら・みずき、本名阪田なつめ=さかた・なつめ)さんが14日午前7時、肺がんのため、東京都内の病院で死去した。53歳だった。東京都出身。葬儀は近親者で行い、12月2日午後2時から東京都新宿区南元町19の千日谷会堂でお別れの会を開く。喪主は姉の内藤啓子(ないとう・けいこ)さん。
1974年に宝塚歌劇団に入り、男役として活躍。幼いころから習っていたバレエの実力で早くから抜てきされ、88年に「キス・ミー・ケイト」で花組トップスターに就任。ダイナミックでエレガントなダンスで「宝塚のフレッド・アステア」と評され、「ダンスの花組」と呼ばれる一時代を築いた。「ベルサイユのばら」のフェルゼン役などを演じて91年に退団。現役中の89年、退団後の92年と2度にわたり歌劇団のニューヨーク公演に参加し、成功に導いた。
大浦さんの死悼む、真矢「本当に尊敬できる人」 スポーツニッポン 2009年11月17日(火)06:01 元宝塚歌劇団花組のトップスターで、14日に肺がんのため53歳で死去した女優大浦みずき(本名阪田なつめ)さんの悲報を受けて16日、真矢みき(45)ら宝塚の元トップたちが所属の「組」を超えて早過ぎる死を悼んだ。真矢は「みずきさんが私を変えてくれた」としみじみ。12月2日午後2時から東京都新宿区南元町19の千日谷会堂でお別れの会が開かれる。喪主は姉内藤啓子(ないとう・けいこ)さん。
花組の下級生(後輩)として「ベルサイユのばら-フェルゼン編-」(90年)など同じステージに立つことも少なくなかった真矢だけに、偉大な先輩の死には悲しみが込み上げた。
「宝塚のフレッド・アステアと呼ばれたダンスの名手。大浦さんは宝塚のグレードを上げてくださった方です。トップお披露目の舞台となった“キス・ミー・ケイト”(88年3月)を見て、なんてガウンの似合う人だろうと見とれてしまいました。黒燕尾(えんび)姿も最高。とにかくプロ精神のすごい方でした」
91年に大浦さんが退団する際、当時3番手だった真矢は「一緒に辞めようかと思います」と相談したという。「その時、鼻で笑われたんです。そして“あんたがトップにならなくてどうするの”と言われました。その一言が私を大きく変えるきっかけになりました」
昨年、大浦さんが同じ事務所に移ってきた。もちろん闘病の様子も耳に入っていた。大浦さんは肺がんで昨年11月20日に都内の病院に入院。その後、転移もみられ一進一退を続けたが、闘病中の姿は見せたくないだろうとあえて見舞いは遠慮。その代わり、上級生・下級生と一緒に千羽鶴を折ったり、8月29日の大浦さんの誕生日には「会いたい」とつづった手紙を書いて送ったりして、回復を祈ってきた。そのかいもなく逝ってしまった大浦さん。真矢は「少女のような純真さも持ち、尊敬のできる人でした」と涙で手を合わせた。
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テーマ:スミレ話@宝塚歌劇団
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