2013年11月28日(木)
今日は、私が応援している地元福岡市在住の役者・玄海椿さんからの御案内です。玄海椿 初の博多座公演『望東尼(ぼうとうに)』 12/15(日)11:00/16:45 A席¥4000 B席¥2000 徳永玲子、尾形大作、玄海椿、他200名出演。 チケット完売しておりましたが、芝居屋企画がチケット、確保しています。 全席指定ですので早めのお申し込みをお待ち致しております。 チケット申し込み→sibaiya. tubaki @ezweb.ne.jp (携帯電話でお申し込み下さい) 皆様、応援宜しくお願い致します 以上、玄海椿さんのブログより
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以下は、私の方で情報を検索した内容です。
福岡市民芸術祭50周年記念クロージング公演 博多座「市民檜舞台の月」公演・第8回福岡文化連盟祭り 第21回ふくおか県民文化祭2013
『おもしろきこともなき世・・・おもしろく 望東尼』
2013年12月15日(日)
博多座 | 〒812-0027 福岡県福岡市博多区下川端町2−1

半世紀の歴史を誇る「福岡市民芸術祭」は、 その名のとおり"市民による文化芸術活動の発表の場"として親しまれてきました。 この秋、記念すべき50周年を迎え、その集大成として、 福岡市民芸術祭50周年記念 式典/オープニング公演『祝宴』を10月5日(土)に、 クロージング公演『おもしろきこともなき世...おもしろく 望東尼』を12月15日(日)に開催します!
ペリー来航からさかのぼること50年前の1808年、一隻のイギリス軍艦が鎖国の禁をあざ笑うように長崎に入港、狼藉を働く事件が勃発しました。フェートン号事件です。 これによって時代は幕末維新に向かって激しく動き出します。長崎警固の任にあった福岡藩も否応なくその渦中に巻き込まれていきます。 その頃、福岡藩士の娘として生を受け、降りかかる幾多の悲運にもくじけず、「おもしろきこともなき世」を「おもしろく」と真っ直ぐひたむきに生き抜いた一人の女性がいました。
歌人、野村望東尼(のむら・ぼうとうに)(1806~1867)です。
舞台は、伝説の「勤王の歌人」に新たな命を吹き込み、私たちと等身大の清新な女性として現代によみがえらせます。 望東尼の波乱の生涯を物語る演劇に、和洋の芸能が多彩に織りなして進行するコラボレーション劇をお楽しみください。
日時/12月15日(日) ①11:00開演(10:00開場) ②16:45開演(16:00開場) 会場/博多座
主演/徳永玲子
総監督/舟越 節 脚本・演出/田中 はくどう 監修/安部龍太郎
以上、WEB ATLIER より 福岡市文化芸術振興財団による演目紹介 を引用

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【#西日本新聞】歌人・野村望東尼の半生描く 博多座で12月に劇公演 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/f_sougou/article/44844 福岡が生んだ幕末の歌人、野村望東尼(1806~67)の半生を描いた舞台劇「おもしろきこともなき世…おもしろく 望東尼」が12月、福岡市博多区の博多座で公演される。筑前琵琶やバレエなど多彩な芸能を組み合わせたオリジナル作品で、市民総勢約200人が出演。今年50年目を迎えた福岡市民芸術祭のフィナーレを飾る。 望東尼は福岡藩士の娘で、現福岡市中央区にある山荘(平尾山荘)を使って勤王の志士らを助けたとされる歌人。劇では、17歳から晩年までを、幕末の福岡藩を舞台に描写。高杉晋作との親交や、息子らを次々と亡くした悲劇、結核と闘いながら志士隠匿の罪で流罪となるなど、ひたむきに生きた姿に迫る。 総監督は舟越節さん、脚本・演出は田中はくどうさん。約3時間に及ぶ劇は、タップダンスや琉球舞踊、仮面劇など和洋の芸能も織り交ぜて演出。さまざまな世代が楽しめる作品になっているという。 主演の徳永玲子さんは「歴史上のすごい人物というイメージだったが、等身大の女性としての生き方に共感や感銘を覚えた。前向きに生きる姿を丁寧に演じたい」と話した。 公演は12月15日の午前11時と午後4時45分の2回。前売りはチケットぴあなどで販売しており、A席4千円、B席2千円(当日各500円増)。 10月19日には平尾山荘公園で記念の茶会、同26日には福岡アジア美術館で関連シンポジウムがある。福岡文化連盟=092(771)0188。(終了) =2013/10/08付 西日本新聞朝刊=
【@Fukuokacity_pr】福岡市PR 「野村望東尼」 http://www.city.fukuoka.lg.jp/chuoku/kikaku/ charm-kankou/ch-jouhouhassin/033.html 勤王の志士たちを支えた幕末の母
「ひとすぢに あかき道ゆく 中やどに かしてうれしき やまのあれ庵(いほ)」(『向陵集』)
平尾山荘に住んだことで知られる野村望東尼(のむらぼうとうに)は、文化3年(1806年)黒田家に仕える浦野重右衛門勝幸の三女・モトとして、現在の赤坂三丁目付近で生まれました。
美貌で知られたモトは、17歳のときに一度結婚するも離縁。24歳で再び野村新三郎貞貫(さだつら)のもとに後妻として嫁ぎます。
弘化2年(1845年)、長男の貞則に家督を譲り、夫婦は平尾山荘に移り住みました。2人は詩歌に造詣が深く、薬院の商家に生まれた歌人の大隈言道(ことみち)の門下に入り、平尾の自然に囲まれながら、歌を中心とした生活を楽しんでいました。
しかし、安政6年(1859年)、夫の貞貫が亡くなります。仏門に入ったモトはその名をもじり、「招月望東尼(しょうげつぼうとうに)」と号するようになります。
文久元年(1861年)に上京、翌年に帰福した後から勤王の志士たちを密かにかくまい、山荘を密会の場として提供するようになりました。高杉晋作も平尾山荘を訪れた一人です。
冒頭の歌は彼らを支えようとする望東尼の心境を詠んだものでした。
福岡藩の勤王派は次々と弾圧されてしまい、望東尼も真冬の慶応元年(1865年)11月に姫島に流されてしまいます。望東尼が60歳のときのことです。
ところが、翌年9月、高杉の命を受けた30人の志士たちにより、昼間にも関わらず、監視の目を盗んで劇的に脱出したのでした。
下関に着いた望東尼は慶応3年(1867年)4月、高杉の死を見取ると、山口を経て防府の三田尻に着き、同年11月6日、その地で62歳の生涯を終えました。王政復古が起こり、明治になったのはその翌月のことでした。
望東尼の慰霊を偲び、毎年11月6日には平尾山荘で望東尼祭が行われています。10時半から1時間、お坊様による読経が行われるほか、梅やぜんざいの販売もしています。
【幕末歴史探訪】 野村望東尼 平尾山荘 http://www.webkohbo.com/info3/motoni/motoni2.html 志士の母、野村望東尼(ぼうとうに)をご紹介します。司馬遼太郎氏の著書『世に棲む日 日』の中では『もとに』と書かれています。 『まごころを つくしのきぬは国のため 立ちかへるべき ころも手にせよ』 (以下、略)
【野村 望東尼(のむら もとに)】 京都大学附属図書館 維新資料画像データベース http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/ishin/jinmei/Nomura.html 筑前国早良郡に生まれた。江戸末期の歌人、勤王家。 文化3年9月6日(1806.10.17) - 慶応3年11月6日(1867.12.1) (以下、略)
【日本経済新聞】野村 望東尼 信念曲げず志士たちを感化 ヒロインは強し(木内昇) http://s.nikkei.com/14tYKd0 「おもしろきこともなき世に おもしろく」と幕末に生きた長州の奇才、高杉晋作は詠んだ。 彼女は高杉の句に下の句を添える。「すみなすものは心なりけり」と。 (以下、略)
【野村 望東尼 ひとすじの道】 http://www15.ocn.ne.jp/~nara/ 時は幕末。 血気盛んな勤王の志士たちが母のように慕う女性がいた。 女だてらに勤王なんて・・・と噂されようとも 新しい時代をつくるために自分が信じる道をひとすじに貫いた人だった。 歌人 野村望東尼である。 (以下、略)

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