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観劇レビュー&旅行記
【観劇レビュー&旅行記】を中心にFC2上で、私も思いを気の向くままに書いてゆきます。 政治・時事評論は 【JUNSKY blog 2018】に引続き運用します。リンクの一番上に記載しています。


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Author:junsky07 私の旅行記や、オペラ・バレエ・ミュージカル・演劇等の観劇の感想などを気の向くままに書いてゆきます。



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新藤兼人監督、死去 享年100歳 老衰のため
2012年5月31日(木)

 映画の独立プロ「近代映画協会」で、原爆・戦争・暴力などをテーマに社会派映画を

創り続けてこられた新藤兼人監督が亡くなられたとのニュース。 享年100歳。

     N0042625_l.jpg
       御冥福をお祈り申し上げます


新藤兼人監督、死去 享年100歳 老衰のため
 シネマトゥデイ - 2012年5月30日(水) 16時31分
 

山田洋次、新藤監督の訃報に「仰ぎ見る先輩がいなくなっちゃった」
  - 2012年5月30日(水) 18時18分
 

大竹しのぶ、ロンドンから新藤監督を追悼「心から拍手」

 シネマトゥデイ - 2012年5月31日(木) 22:00
 

「2回撮るよ」新藤監督、死去前日も寝言で
 読売新聞 - 2012年5月31日(木)23:12
 

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新藤兼人監督、死去 享年100歳 老衰のため
 シネマトゥデイ - 2012年5月30日 16時31分
 

 『午後の遺言状』などで知られる、映画監督の新藤兼人さんが29日午前9時24分、老衰のため自宅で死去した。100歳だった。

 新藤監督は、1912年に広島県で生まれ、1934年に新興キネマ美術部に入り映画界でのキャリアをスタート、溝口健二監督に師事した。1950年に松竹を退社した後は、吉村公三郎監督らと近代映画協会を創立。1951年に『愛妻物語』で監督デビューを果たした。その後はシナリオライター、映画監督として活躍。『裸の島』『鬼婆』『竹山ひとり旅』『原爆の子』など数多くの作品を発表し、国内外の映画賞を多数受賞した。

 また邦画界最高齢の現役映画監督としても知られ、「映画人生最後の監督作」と語った、2010年の人間ドラマ『一枚のハガキ』では、ノミネートはならなかったものの、第84回アカデミー賞外国語映画賞部門の日本代表作品として出品。今年4月22日には100歳の誕生日を迎えたばかりだった。

 告別式は来月3日に港区の増上寺で行われる。喪主は近代映画協会社長で、新藤監督の次男・新藤次郎氏が務める。(編集部・入倉功一)
 

 
山田洋次、新藤監督の訃報に「仰ぎ見る先輩がいなくなっちゃった」
  - 2012年5月30日(水) 18時18分
 

 30日、都内・東宝スタジオにて、映画『東京家族』の製作報告会見が行われ、出席した山田洋次監督が、この日報道された新藤兼人監督の訃報(享年100歳)に、「僕自身がいい年ですが、新藤さんがお元気でいてくれるのはありがたいことだった。仰ぎ見るような先輩がいなくなっちゃった」と寂しさをにじませた。

映画『東京家族』製作報告会見写真ギャラリー

 「『東京家族』の“家族”が勢ぞろいしてうれしい」と山田監督が口火を切ったこの日の会見には、主演の橋爪功をはじめ、吉行和子、西村雅彦、夏川結衣、中嶋朋子、林家正蔵、妻夫木聡、蒼井優ら主要キャストが集結。本作は、日本映画界の名匠・小津安二郎監督の『東京物語』にオマージュを捧げた作品で、山田監督にとって映画監督50周年の記念作品となる。

 東日本大震災の影響で製作を約1年延期し、脚本も見直され、舞台も2012年5月の東京に変更されたが、山田監督は「製作を延期したことによりうまくいくのかと不安や悩み、焦りもありましたが、今になって判断は正しかったと思っています」と明日クランクアップを迎える本作に手応えを感じている様子。主人公の大役を担った橋爪は、「思いもよらぬ大役をいただき、橋爪で大丈夫かと思っている方もいらっしゃると思いますが……」と謙虚に話しつつ、「ここはそんなにシーンとするところじゃないんですけどね」と自ら突っ込み、笑いを誘った。

 恋人を演じる妻夫木や蒼井をはじめ、出席者が口をそろえて「山田監督という巨匠の作品で緊張したが、本当に幸せな現場だった」と撮影を振り返る中、「数多くのNGを出して、本当に申し訳ありませんでした!」と謝罪したのは林家。NGを連発した際には、山田監督に「君も大変だったな。でも撮ってる方も大変なんだよ」と言われたというエピソードを明かし、場内を和ませた。

 時にお互いの顔を見合いながら話すキャストたちから、現場のチームワークのよさが表れた会見だったが、終了後には老衰のため昨日亡くなった新藤監督の訃報が伝えられた。突然の報道に山田監督は「今聞いたばかりで驚いています。最後にお会いしたのは6~7年前だったと思います。映画の製作は金銭面でも大変なご苦労をされたと思いますが、ヒットするかしないかは考えずに生涯を送ったえらい監督」と新藤監督との思い出を振り返り、「『一枚のハガキ』で最後にするとおっしゃっていましたが、もう1本作ることになればすばらしいことだなと思っていたので、それがかなわなくなって寂しい」と苦しい胸の内を明かした。

 映画『東京家族』は、瀬戸内海の小島から上京してきた両親と忙しく働く子どもたちの触れ合いから、家族のきずなや喪失を描き、現代に生きる人や社会を反映させたヒューマン・ドラマ。なお、この日出席したキャストで蒼井以外は山田監督作品初出演となる。(編集部・小松芙未)

映画『東京家族』は2013年1月全国公開 


大竹しのぶ、ロンドンから新藤監督を追悼「心から拍手」

 シネマトゥデイ - 2012年5月31日(木) 22:00
 

  31日、蜷川幸雄演出の舞台「シンベリン」ロンドン公演のため、同地に滞在中の大竹しのぶが、新藤兼人監督の訃報を受け、自身がパーソナリティーを務める番組「大竹しのぶのオールナイトニッポンGOLD」に電話出演し、新藤監督への思いを語った。

 「こんばんは、大竹しのぶです。皆さんもご存知の方もいらっしゃるかとは思いますが、わたしが尊敬する映画監督・新藤兼人先生がお亡くなりになりました。この4月で100歳になったばかりでした」。そう語り出した大竹。1999年に公開された映画『生きたい』で初めて新藤組に参加し、4作目のタッグ作となった『一枚のハガキ』が、新藤監督の遺作となった。

 『一枚のハガキ』は、新藤監督が自らの戦争体験を基に、生き残った兵士と戦死した友人の家族の崩壊と再生への道のりを、豊川悦司と大竹しのぶの共演で描いた作品。大竹は、新藤監督が一貫して叫び続けていたことは「戦争はいけない」ということだったと語り、「『一枚のハガキ』も同じ“叫び”でした」と同作を振り返った。

 5分ほど、監督への思いを語り続けた大竹。「僕は死んでいきますが、映画は生き続けます」という新藤監督がかねてから語っていた言葉を引用し、「激しくて、正しくて、男らしくて、やさしくて、素晴らしい人生に、今心からわたしは拍手を送りたいと思います。そして、監督の思いを受け継いで、わたしたちはこれからもきちんと考え、真面目に、一生懸命生きていきたいなと改めて思いました」と語った言葉が印象的だった。(編集部・島村幸恵)

「大竹しのぶのオールナイトニッポンGOLD」は毎週木曜日午後10時から11時50分まで放送
 



「2回撮るよ」新藤監督、死去前日も寝言で
 読売新聞 - 2012年5月31日(木)23:12
 

 老衰のため、5月29日に100歳で亡くなった映画監督、新藤兼人さんは、映画の夢を見続けていた――。

 同31日に記者会見を開いた、次男で近代映画協会社長の新藤次郎さん(63)が明かした。

 次郎さんによれば、新藤監督は4月22日に東京都内で開かれた誕生パーティーの後、ベッドで寝たり起きたりという状態だったが、眠っている時も「寝言の内容は全部映画」。新藤監督と一緒に暮らしてきた孫の 風 ( かぜ ) さんが亡くなる前日に聞いたのは、「ここは英語と日本語で2回撮るよ」という言葉。夢の中でアメリカで撮影しているようだったという。

 昨年公開され、遺作となった「一枚のハガキ」に関しては、「最後の作品の覚悟で、エネルギーを全部注ぎ込んだ」と次郎さん。「やり残したことがまだあると思うか、十分やったと思うか、両方あると思うが、私は身近で体調を見てきたので『お疲れさん』と言いたい」と語った。
 



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