2010年12月12日(日)
今年は、自由民権思想を 『文化面』 から啓蒙した
川上音二郎 の 100年忌 と言うことで、企画された
博多座「市民檜舞台」の演目 (ひと月程前にこのブログでも御紹介)
『川上音二郎・貞奴物語』
を見てきました。

なかなかの力作だったと思います。
公演時間は 第一部:90分、休憩:20分、第2部:75分+カーテンコール 合 計: 3時間10分の大作!でした。
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主役の川上音二郎(1864 - 1911)は、「ギンギラ太陽’s」の 大塚 ムネト と
アクティブ・ハカタ 「劇団無限」 の 林 雄大 が 第一部の、“苦闘編”(林 雄大) と 第二部の “絶頂期”(大塚 ムネト)を
二人で演じ分け、逆にそれぞれが『狂言回し』 を 勤めるという絶妙な構成。
貞奴(1871 - 1946)役は、「ギンギラ太陽’s」の 上田 裕子。

「博多っ子純情」 の 長谷川法世 が 原作
脚本は、長谷川法世 と 大塚ムネト が共同執筆。
出演者数は、数十名の子ども達も含めて百名近い大世帯でした。
(公式サイトの紹介によると出演者 180名,公演スタッフ 30名 とのこと。)
博多を拠点とする 主な劇団 総出演 という感じです。 大塚ムネトさん は 長谷川法世さん宅に毎日のように通い合宿状態で執筆したとのこと。
47才で亡くなった 川上音二郎 の 短くも波乱万丈の人生を3時間ほどの劇にうまく納めて
いました。 おそらく割愛せざるを得なかった部分が圧倒的だっただろうと思います。
私も、川上音二郎 について少し知っていることがありましたが、この劇やパンフを見て
初めて知ったことも数多くありました。
自由民権運動に参加して逮捕・投獄(180回を超えるとのこと)されたのは、
18歳から21歳にかけてのことでした。
日本全国での演説禁止処分を受けて『芸人』に転進するための「遊芸人鑑札」を取得した
のが、その21才のとき。 浮世亭○○(うきよてい・まるまる)として改良落語を“発明”し、
「オッペケペー節」 を“開発”したのが、24才のとき。
インターネットはおろか、テレビもラジオもなく、電話も普及していなかったにも関わらず、
1年を経ずして、口コミで 「オッペケペー節」 が 全国に広がったという。
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川上音二郎・貞奴 夫妻 が 日本で初めて実現したことも数多くあるらしい。 (以下、「公演パンフレット」を参照して記述)
* 演劇研究のために欧州視察旅行 1893年(29才)
* 歌舞伎しか知らなかった日本人の前で西洋風演劇を初公演
* 西洋風劇場の建設 1896年【川上座】(東京:32才),1910年【帝國座】(大阪:46才)
* 日本初の女優業 1899年 貞:28才。
* こども教育向け「お伽芝居」 開発。 1903年(39才) 宝塚少女歌劇より早い! (1914年:宝塚少女歌劇第一回公演「ドンブラコ」「浮れ達磨」「胡蝶」)
* 女優養成所 開設 1908年 貞:37才。 宝塚音楽歌劇学校の設立より11年も早い! (1919年:宝塚音楽歌劇学校の設立。「宝塚少女歌劇団」が誕生)
* 坪内逍遥よりも早く、シェ-クスピア劇を翻案・上演 1903年(39才) (この演劇では、長谷川法世さんが坪内逍遥を演じ、ちょっと出)
Wikipedia で、検索したら、坪内逍遥と宝塚歌劇との関連もみつかり面白い!逍遙は兄義衛の三男・士行(元宝塚歌劇団職員で演劇評論家)を養子としたが、後に養子縁組を解消した。 士行の妻は宝塚歌劇団1期生の雲井浪子、娘が女優坪内ミキ子 *****************
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マチネ公演を見ましたが、TV-CMもやっていないのに、結構な観客の入りでした。
私は2階席で、A席らしき前方の席は結構空いていましたが、B席は8割ほどの入り。
C席は売り切れていたので、3階はほぼ満席ではないかと想像します。
1階も結構な入りでした。全体では7割ほどの入りでしょうか・・・
この日の、マチネ・ソワレ公演の2回だけというのは、集客の点からは妥当でしょうが、
内容やキャスト・スタッフの奮闘からすると、惜しい気がします。
毎年とは行かないまでも、5年ごととか10年ごとにでも公演を続けては如何でしょうか?
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(以下、11月11日の記事の再録)
【博多だ 川上音二郎だ!】 長谷川法世がふるさと博多と川上音二郎・貞奴を語ります
新演劇の祖・川上音二郎と妻・貞奴の物語を、地元・博多で上演 @ぴあ 10月29日(金)15時17分配信
博多が生んだ演劇人、川上音二郎と妻、貞奴。
明治時代、自由民権運動から演劇改良に力を注ぎ、渡仏、渡米に借金地獄。破天荒な人生を送った男と女の生涯が、地元・博多座で舞台化。
原案と脚本は『博多っ子純情』やNHKドラマ『走らんか!』で博多ブームを巻き起こした漫画家で、川上音二郎研究家でもある長谷川法世。 共同脚本と演出は、今や全国の演劇ファンにその名が届く、ギンギラ太陽’s主宰の大塚ムネト。10月28日に福岡市内で記者会見が行われ、音二郎役の林雄大、貞奴役の上田裕子とともに、それぞれ意気込みを語った。
「知れば知るほど、ますます解らなくなる川上音二郎という人物。
日本で初めての市民意識を持った人間で、国のために何かしなくては、という思いが常にあって、それが演劇に繋がるのでは」と語る長谷川法世が書いた物語の骨子を、大塚ムネトが準備期間を含めて3年を費やして成立させたという本作。 「オッペケペー節」の芸人として知られる音二郎だが、大志なかばに散ったその人生を知る人は地元でも少ない。 今回の舞台は、商業演劇というよりも音二郎を知ろうというスタンスのものになるとか。
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「明治時代。庶民の暮らしは苦しくなるばかり。 その閉塞感は、今の時代に通じるかも。
音二郎が13歳で家出するところから、47歳で亡くなるまでの一生を描きますが、苦しい中で自分の道を探していった部分を時代背景と共に伝えていきたい」(大塚)。
「今の等身大の僕らのもがきが、そのまま音二郎の人生のもがきに重なるようで、とても刺激を受けています。川上音二郎一座に負けないような芝居を作りたいですね」(林)。
「貞奴には、強いセリフの中にも女性らしい可愛さや弱さが見え隠れする。資料には書かれていない部分を、イメージを膨らませ作っていく楽しさを感じています。事実を大事にしながらも、自分の中の貞奴を出していければ」(上田)。
今年は、川上音二郎の100回忌にあたる。旧・博多座(明治43年(1910年)、東公園に開場)が、川上一座のこけら落としで幕を開けたという縁も。 100年の時を経て博多座に集結するのは、地元で活躍する俳優や、各団体、スタッフ総勢200名以上。 地元ならではの、迫力のある舞台を見ることができそうだ。
公演は12月12日(日)に博多座で11:00と16:00の2回上演。

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平成22年度「市民檜舞台の月」 川上音二郎100回忌企画公演 川上音二郎・貞奴物語
原案・共同脚本:長谷川法世 共同脚本・演出:大塚ムネト 製作・演出補:伊集院晃生 製作:長谷川悦子
出演:大塚ムネト 林雄大 上田裕子 徳永玲子 小渕友加里 他
日時:2010年12月12日(日) 10:30開場/11:00開演,15:30開場/16:00開演 公演時間 2時間20分 (1部80分・休憩20分・2部40分)予定 (この予定は、実際には、30分も増える大作となった。)
【会場】 博多座
【入場料】 全席指定A席7,000円 B席 5,000円 C席 3,000円(税込み) 【主催】 川上音二郎・貞奴物語制作実行委員会 【企画・製作】 画萬堂・ギンギラ太陽’s・アクティブハカタ 【制作協力】 ピクニック・アンミックスエンターテインメント 【後援】 福岡県・福岡県教育委員会・福岡市・福岡市教育委員会 ・(財)福岡市文化芸術振興財団・RKB毎日放送・九州朝日放送 ・テレビ西日本・TVQ九州放送・NHK福岡放送局 第18回ふくおか県民文化祭2010協賛事業
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