2010年4月11日(日)
【ポーランド + α 気まま旅】 第67回
今回は旅行記は一時中断してリアルタイムで事故の情報をお伝えします。
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既に御存知のように、昨日10日、カチンスキ大統領らポーランド政府要人を多数乗せたポーランド政府専用機がロシア西部のスモレンスクで墜落し、乗客乗員全員が死亡したようです。
この政府専用機は、ナチス・ヒットラーのドイツとスターリンのソ連が戦闘を繰り広げていた70年前に「カチンの森」でポーランド軍将校らが大量虐殺された「カチンの森事件」の「70周年慰霊祭」に参加する政府要人を乗せていたもので、搭乗者の中には「カチンの森事件」犠牲者の遺族も居たとのことです。
今のところ「テロ」の可能性は取り沙汰されておらず、濃霧で視界不良と言う状況で、管制官が別の空港への誘導を行ったにも関わらず、パイロットの判断で着陸を試み、空港手前の森林にあった樹木に引っ掛かってバランスを崩して墜落したものと思われます。
犠牲になられた皆さんと御遺族にお悔やみ申し上げます。
 (時事通信配信分を借用)
 (ポーランド政府機がロシアで墜落、大統領ら97人死亡 トムソンロイター配信分を借用)
 (首都ワルシャワの大統領府前で追悼の祈りをささげる市民 時事通信配信分を借用)
在ポーランド日本国大使館からの情報 10日午前8時56分頃、カチンスキ大統領夫妻を始め政府要人を乗せた政府専用機がロシアのスモレンスク近郊で墜落し、同大統領夫妻を始めとした乗員・乗客併せて96名が逝去されました。大統領一行は、カティンの森事件70周年追悼式典(於:カティン)に出席の予定でした。 事故原因に関する政府の公式見解は現時点では発表されていませんが、報道によれば、政府専用機は、スモレンスク近郊の悪天候(濃霧)の中、着陸の際に木に接触したことにより墜落した蓋然性が高いとのことです。 これを受け、ポーランド憲法に基づき、コモロフスキ下院議長が暫定的に大統領の義務を履行することになるとともに、ポーランド政府は国家として一週間の喪に服することを決定しました。 また、トゥスク首相は10日午後記者会見を開き、11日正午から2分間の黙祷を実施することを国民に伝えました。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 在ポーランド日本国大使館 Embassy of Japan in Poland ul. Szwolezerow 8, 00-464 Warszawa, Poland Tel: + 48-22-696-5000 Fax: + 48-22-696-5008 E-mail: newsmail@emb-japan.pl ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
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ポーランド政府機がロシアで墜落 大統領ら97人死亡 トムソンロイター 2010年4月11日(日)09:07
【ワルシャワ/スモレンスク 11日 ロイター】
ポーランドのレフ・カチンスキ大統領夫妻ら97人が乗った政府専用機が10日、ロシア西部のスモレンスクで墜落し、乗客乗員全員が死亡した。事故当時、現場は濃い霧で視界が悪かったという。
カチンスキ大統領は、第2次世界大戦中にポーランド軍将校らがスモレンスク郊外で旧ソ連軍に虐殺された「カチンの森」事件から70周年を迎える追悼式典に出席する予定だった。死者の中には、軍幹部や中央銀行総裁なども含まれている。
墜落したのはツポレフ154型機で、運航を始めてから約20年が経過していた。インタファクス通信がロシア空軍関係者の話として伝えたところでは、管制官が悪天候のため着陸地を変更するよう求めたのに対し、同機のパイロットが着陸を強行したという。
ポーランドとロシアは、事故原因の調査を共同で行う計画を発表した。
カチンスキ大統領は旧共産党政権時代、自主管理労組「連帯」でワレサ元大統領の盟友として活動。その後、双子の兄ヤロスワフ氏と政党「法と正義」を結成し、2005年に大統領に就任した。
ポーランド大統領事故死 「追悼70年の旅」 悲劇 選挙繰り上げ実施 産経新聞 2010年4月11日(日)08:00
【モスクワ=佐藤貴生、遠藤良介】
70年目の追悼の旅は、ポーランド大統領と多数の高官が命を落とす悲劇に変わった。ロシア西部スモレンスクで10日に起きた政府専用機墜落事故。カチンスキ大統領(60)夫妻のほか、中銀総裁や軍参謀総長、外務次官など、国の政官界を担う約90人が死亡した。これほど多数の1国の指導層の生命を奪った航空機事故は過去に例がないとみられる。ポーランドの歴史に新たな苦難の1ページが刻まれ、国民は大きな悲しみに包まれた。
◆カチンで再び…
カチンスキ大統領は10日、1940年にポーランド兵2万人以上が虐殺された「カチンの森事件」の犠牲者追悼のため、現場に入る予定だった。ロシアのプーチン首相とポーランドのトゥスク首相は現地で7日に追悼式典を行ったが、大統領は招かれなかったとみられ、節目の年の訪問を心待ちにし、日をずらして赴く矢先の悲劇だった。
「ソ連は70年前、カチンの森でポーランドのエリートを殺害した。きょうは、追悼の意をささげるため、そこに向かったわれわれのエリートが死亡した」
自主管理労組「連帯」時代のカチンスキ大統領の盟友、ワレサ元大統領は動揺を隠さずに語った。同国外務省報道官も、「将来にどれほど影響が出るか分からない。ポーランド史上例のない事故だ」と述べた。
ポーランドの首都ワルシャワの大統領宮殿には半旗が掲げられ、多くの国民がロウソクや花を手向けて犠牲者を悼んだ。窓に黒いリボンをつける住民もおり、衝撃の大きさをうかがわせた。政府は今後1週間を服喪期間とする方針を決めた。
トゥスク首相は緊急閣議を招集、カチンスキ大統領の死を受け、秋に予定されていた大統領選の前倒し実施を決めた。2週間以内に投票日が発表される。憲法の規定に従い、コモロフスキ下院議長が大統領代行に就任した。
◆対露批判の急先鋒
「連帯」出身のカチンスキ氏は2005年、ワルシャワ市長から大統領に就任。柔らかな笑顔がトレードマークで、うり二つの双子の兄、保守系野党「法と正義」のヤロスワフ前首相とともに、政界でキャリアを積んできた。
欧州連合(EU)に懐疑的であるほか、対露批判の急先鋒(せんぽう)としても知られた。08年のグルジア紛争発生直後にはウクライナやバルト3国の首脳らとともにトビリシを訪問、公然とグルジア支援を宣言した。こうした強腰な姿勢が一定の国民の支持を集めてきたが、再出馬の意向を示していた次期大統領選ではコモロフスキ氏に水を空けられていた。
ただ、カチンスキ氏の事故死という異例の事態を受けての前倒し選挙となるだけに、「大きなインパクトがあるのは間違いないが、それが投票結果にどう表れるかは予想できない」(ロイター通信)との見方も出ている。
◆事故多いツポレフ
墜落事故を起こしたツポレフ154型機は旧ソ連が60年代に開発した中距離機で、旧ソ連諸国では多くの航空会社が主力機として運航している。ただ、近年は同型機の事故も目立っており、老朽化から年内には生産が停止されることになっていた。
旧ソ連諸国で構成される独立国家共同体(CIS)の全加盟国と中国はツポレフ154を政府専用機として使用している。イタル・タス通信によると、同型民間機の大事故は01~06年だけで5件。墜落や衝突、ミサイルによる誤爆で計554人が犠牲となっている。
国営テレビ・ロシア24などによると、ポーランドの政府専用機にもトラブルが相次ぎ、政府では新型機への買い替えを検討していた。08年12月には大統領外遊先のモンゴルで機が飛行不能となったほか、09年9月にもモスクワでの整備・修理を終えたばかりの政府機で機材トラブルが発生していた。
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【メモ】航空機事故で死亡した国家元首
航空機の墜落で国家元首が死亡したケースは過去にも複数例がある。最近では1994年にアフリカのルワンダで同国のハビャリマナ大統領と隣国ブルンジのヌタリャミラ大統領が乗った専用機が撃墜され死亡したほか、パキスタンでも88年にハク大統領の空軍輸送機が墜落し死亡した。1957年にはフィリピンのマグサイサイ大統領が、搭乗していた航空機が墜落し死亡している。
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テーマ:ポーランド
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