第二次世界大戦における日本の敗戦は、 1945年9月2日 であった というストーリーである。
8月15日は、日本政府が「ポツダム宣言」を受諾することを、国民や前線の兵士に そして世界に知らしめた日であり、国際的な戦争終結処理が行われた日ではない。
日本政府と軍が連合軍諸国と降伏文書を調印したのは、9月2日であった。
今日の、「その時歴史が動いた」は、先週放送された8月15日に至る動きの 続編で、ポツダム宣言受諾後、降伏文書が調印された9月2日に至る動きを 捉えたものである。
降伏文書を調印する全権委員を政府・軍部の要人が次々と拒んだため、調印式の直前まで紛糾したと言う。 特に降伏文書の調印に不可欠な、日本軍部の代表就任を嫌がる参謀総長・梅津美治郎には、調印の前日9月1日に天皇が直接説諭し、引導を渡したと言う。
「愉快ならざる大任 心中の苦衷を察す 之(これ)已(や)むを得ざる所 お国の将来のための第一歩である 之を終了するも尚(なお) 将来にわたり克(よ)く朕(ちん)を輔(たす)けてくれ」裕仁
その番組の中のキーワードの一つが、「一億総懺悔」 である。 コメンテイターは、東久邇(皇族)首相が宣言した、この「一億総懺悔」という 言葉が、戦争遂行者や天皇の戦争責任を追及されることを回避するための 発言であり、一方ではその戦争遂行者や天皇に協力してきた人々の 責任をも不問に付してしまったと解説した。
東久邇宮総理大臣の記者会見での発言 「この際 私は軍官民 国民全体が徹底的に反省し懺悔(ざんげ)しなければならぬと思う。全国民総懺悔することが わが国再建の第一歩であり わが国内団結の第一歩と信ずる。」
いまだに、アジア諸国から戦争責任を問われる日本の有り方を決めた 重要な要因が、この「一億総懺悔」論であったという。
************************************ ランキングの応援をよろしく ⇒  ************************************ NHK番組HPでの紹介文 シリーズ 日本降伏 後編 帝国最大屈辱ノ日ナリ 〜9月2日・降伏文書調印〜
平成20年9月10日(水)22:00〜22:43 総合
昭和20年「8月15日」と「9月2日」という2つの転換点を描く2回シリーズ。後編は玉音放送以後、日本が連合国に正式に降伏した9月2日の降伏文書調印に至る、知られざる19日間をひもとく。日本史上例のない国際的な降伏手続き。予測のつかない連合国からの要求・指示や、降伏を認めようとしない人々の抵抗により、指導者たちの対応が混迷を深めるなか、運命の調印が近づく―。そこから浮かび上がる戦後日本の原点とは?
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